1956年11月、成瀬巳喜男『流れる』東宝

  10, 2017 11:03
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玄人だって素人さんだって、食べて働いて寝て。家事雑用はどこだって同じようなもんよ。

製作:藤本真澄 原作:幸田文(新潮社・版) 脚色:田中澄江・井手俊郎 撮影:玉井正夫 美術:中古智 録音:三上長七郎 照明:石井長四郎 音楽:斉藤一郎 衣装考証:岩田専太郎 監督助手:川西正義 清元指導:清元梅吉

映画誕生六十年。昭和三十一年度芸術祭参加作品。タイトルのままにアルペジオが美しいオープニング。田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子、栗島すみ子、そろい踏み。

歯に衣着せぬ粋筋リアル。女同士の義理と人情は、白刃の出入りで決着がつかないので、尚のことシビアなのでした。家政婦は三田じゃなくて田中。

幸田文が実際に芸者置屋の下働きとして住み込んだ経験を活かしたのが原作ですから、もちろん絹代=文なのでしょう。

映画としても徹底した自然主義により、ゆっくりと1時間以上かけて山を登って参ります。ギャング映画のように女性が具体的な被害を受ける話ではないので、その点では安心ですが、頂点から見える流れがすくう濁世の底は深いです。

ほとんど戸外へ出ずに畳の部屋に視点を据えて、息づまるほど大勢の女性が出たり入ったり致します。人間関係の濃さの点でも、監督&撮影のカメラさばきの点でも圧倒的です。

『山の音』は少々男性目線の感傷が加味されてしまいましたから、映画の格としてはこちらが上なのだろうと思います。

山田は哀愁を帯びた中年芸妓の役ですが、監督は上背のある彼女の風格と三味線芸に尊敬をもって、真珠のようにナチュラルに滲み出る輝きをとらえていると思います。

女優さん自身は悪くない暮らしをしてるはずですから、家計の厳しいことによる寂しく切迫した雰囲気をどうして醸しだすことができるのか、不思議といえば不思議にも思われます。

なお、生活はシビアですが、衣装考証が入っている通りで、着物とワンピースがたいへん素敵です。

日本家屋は建具によって構図が縦に切り取られて面白いけど見通しが悪いことでござんす。ガスコンロはあったもよう。お風呂は薪。運搬手段はオート三輪。お買い物は籠さげて。子どもは多いです。ポン子はタヌキではなく猫です。人物紹介終わって役者がそろうまでで20分。

業界暴露ものの一種であって、ほんとに女の任侠のような話でもあります。ようなというのは、もちろん賭け事やってないからですが、頼りない身のうえの人どうしが都会の片隅に集まって住んでいるわけです。

男性の観客にとっては「悪い男もいるものだなァ」という自省の意味を持ったかもしれません。堅気の女性にとっては粋筋のリアリティが分かったところで別にどうってことないはずですが、女は勤めに出ても嫁いでも同じようなことねという共感はあったのかもしれません。

もしかしたら、いちばん喜んでくれたのは映画製作者・監督たちを時々もてなしてくれることもあるプロのお姐さん達だったのかどうなのか。

木下『日本の悲劇』も女一人で生きて行くために旅館で働いておりましたけれども、映画観客というのも、まずは都市労働者ですから、戦争で身寄りをなくした後、かろうじて空襲被害を受けなかった古い横丁に寄り集まって住んでいる……という人が多かったのかもしれません。

なお、すでにこの当時、肩こりに電気マッサージ器が使用されていたようです。へー…。


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