2017/03/14

外国人のお手伝いさんを置きたいという、お嬢様ごっこ。

日本女性の社会進出という話題では、時々「外国人のお手伝いさんを使えばいい」という声が聞かれることがありますね。

まず、日本人の口から「外国人の」という言葉が出た時点で、民族差別を警戒する人が世界中に大勢いると思いましょう。

日本人は「戦争やったのは軍部だけで、国民はカンケーない」という意識で戦後をやり過ごしてきたので、昔のことはカンケーないと思ってしまいやすいのですが、世界は忘れてくれません。

だから「日本人も含めて、お手伝いさんを頼むとはどういうことか」を考えてみましょう。

【賃金格差】

まず、雇い主の女性が一定の時給で8時間働くとします。お手伝いさんにも8時間留守番してもらいました。拘束時間が同じなので、同じ時給を渡しました。

これじゃ困りますね? 雇い主の手元には1円も残りません。だから賃金格差を設ける必要があります。

「それじゃ日本人は『不公平だ』と文句いうから使えないけど、外国人なら文句いわないから使えるわ」と思うなら、残念ながら、差別です。

じゃあ「2時間以内に掃除・洗濯を終わらせて帰ってもらいたい。年寄りの昼食は出前を頼んで、子どもの送迎は他の代行サービスを頼む」ということにすれば?

糖尿病や高血圧にも配慮したお弁当が一食500円。二食たのめば1000円。もしお手伝いさんに料理してもらうとすれば、彼女の時給1000円の他に材料費を渡さなければならないので、これは「お弁当のほうが安上がり」と言えるかもしれません。

子どもの送迎は? 一人片道500円、往復で1000円とすれば、お手伝いさんを時給1000円で拘束するのと同じですね。

では「午前中2時間で掃除・洗濯して、いったん帰ってもらう。昼間は他のアルバイトをしてもいいし、パソコンスクールへ通うのも彼女の自由だ。夕方子どもを迎えに行ってもらって、塾へ送迎してもらって、晩御飯をつくって、皿洗いまで終わったら帰ってもらう」ということにすれば?

午前中2時間・午後2時間で時給1000円とすれば、一日4000円。もし雇い主が同じ時給で8時間労働して来たなら「働いても働いてもお手伝いさんに半分持って行かれてしまう」ということです。

したがって「賃金格差を設けつつ、文句が出ないように心理コントロールしつつ、使い方を工夫して、安上がりにできるところは他を探す」という手間が増えることになります。

【お嬢様ごっこ】

ここまで考えてくると、かんたんに「お手伝いさんを置けばいいわ」と思っちゃう人の心の底にあるものが見えてきます。

すなわち「パパがお手伝いさんのお給料を払ってくれるんですもの」という、お嬢様気分です。

「自分自身が雇用者としての責任を負う」ということが具体的でないのです。

「人を使えば、自分の自由になるおカネが減る」ということが具体的でないのです。

他人を家に上げるということは、もし災害が起きたら彼女も一緒に避難する。彼女のぶんまで災害備蓄する。そういうことです。

【ついでに執事】

映画『四十七人の刺客』では、大石内蔵助が「赤穂の塩をぜんぶ売らせる」ということをしていましたが、執事の仕事もああいうものです。

戦後の時代劇は、戦中の「お国のために」という意識を引きずっているので、「赤穂藩のために」という言い方をするんですが、実際の封建時代には「浅野さんちの使用人」という意識だったわけですね。だから「ご家中」って言いました。

家老の仕事は使用人の筆頭として、浅野さんちの家計を管理し、ほかの使用人にお給料を出してやる。おカネをしまった「蔵」の責任者だから内蔵助。

企業でいえば総務部長のようなもので、社長のお嬢様にお茶を淹れて差し上げるのは、総務部長の仕事ではありませんね。お茶係がすればいいことです。

執事がお嬢様にお茶を淹れてさしあげるということがあり得るのは、お嬢様自身が家督を継いでいる時。

女性にしてみれば、まだ若い未婚の身で、一家の長である。誰にも叱られない。理想的ですね。

でも多くの場合、実際に企業経営した経験がない。だから「小作地から集めた小麦・木材・葡萄酒などを市場へ卸して、その利益で用水路を修繕する」といった所領経営のイメージが具体的でない。

災害が起きた・野武士が食糧備蓄を奪いに来た・外国が鉱山や油田を奪いに来たとなれば自分が陣頭指揮に立つ。堤防が決壊する前に一部を切り崩す。自分もズブ濡れになる。そういうイメージが具体的でない。

すぐに連想されるように、BLもこういうことです。所領経営・企業経営を他人にまかせて、自分は遊び暮らしているお殿様が、女中ばかりか部下にまで手を出すというイメージが女流創作家によって利用されたのがBLです。

【論点が整理できたら、次を考えましょう】

ここらで話を戻すと、女性は夢見がちです。漫画が現実になればいいのにと思ってしまいがちです。

ハーレクインにしろ、BLにしろ、女性が読むものは、男性が読む「空を飛びながら100人倒す」なんていうアクションものに較べて現実的です。ともかく普通の人間同士が屋敷の中で会話している。

だから、我が家ももう少し広かったらいいのに、ついでにメイドさんがいればいいのにと思ってしまいがちです。

が、女性が憲法によって自由になったということは、他人を使うこともパパにおまかせではなく、自分の責任だということです。

「もともとメイドがいるような家へ嫁に行きたいなら、お茶とお花の稽古をして、上品ぶった姑にイビられる覚悟をしろ」という点は、100年前とそんなに変わってないのです。

戦後は「姑自身が有名大学出身の高級官僚で『私の時代にはもっと苦労した』とか説教してくれちゃう」という可能性だってあるのです。

これが現実です。これは「だからお手伝いさんを使ってはいけない」という話ではありません。

ここまで指摘されたら「じゃあどうするか?」という知恵も、それぞれに浮かんで来ることでしょう。論点を整理すると、次の一歩が始まるのです。


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