Misha's Casket

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当方のBL論は「男性中心社会に対する皮肉」への皮肉です。

1990年代の女性研究者たちによるBL弁護というのは「二次創作BLしか読めないので同人誌即売会へ来た少女」という象徴的存在を仮定し、これを弁護するために、いろいろと理由をこじつけたものです。

なので、すべてに対して「だからといって、二次創作BLである必要はない」という反論が可能なのです。

問題は、調査・研究・ディスカッションのプロであるはずの人々が、その程度の低レベルな言説で自己満足していたことなのです。

そのこと自体が、日本の女性が自分を甘やかし、男性の陰で生きていこうとする姿勢の代表選手になってしまっているのです。

当方のBL論は、当初からBL批判ではなく「BL論批判」です。低レベルなフェミニズム批評的BL論への皮肉です。

「なぜ日本の女性は自分でBL専門出版社を立ち上げ、自虐しなくてもBLを創作・購読できる自由を求めて運動を起こさないのですか?」

つまり、ゲイコミュニティから「女性が書いたものには『男同士は異常だ』という台詞が含まれているが我々に対して失礼である」という苦情を投書されて、「私たちのものです!」(男性が検閲してはいけません)と答えたというフェミニズム研究者みずから起業してもいいですよね? という皮肉です。

だって、そんなに独立心が強いんですから。

実際に、市販品としてのBLを(男性が経営する)出版社を通じて発行する際に、プロ女流創作家が自虐したことはありません。出版社が宣伝するにあたって自虐的な隠語を用いたこともありません。

プロは自虐的な隠語を用いないからこそ「少年・愛」をそのまま英語化した和製英語である「ボーイズ・ラブ」という言葉があるのです。すでに1990年代初頭には用いられ始めていたはずです。

独立心旺盛なフェミニズム研究者なら、そこを指摘して「本来、女性がBLを読み書きするからといって自虐する必要はありません。女性が自虐を強いられる差別的な現状がおかしいです」という抵抗運動の先頭に立たなければならないはずです。

「少女が自虐するのは皮肉です」といって、自分自身が面白がっている場合ではないはずです。

「著作権についてはまた別の研究を必要とします」という明確な線引きが必要だったはずです。

科学研究とは、分析とは、そのように差異を明瞭にすることではないのか。なぜ、なにもかも混同した挙句に「ってゆぅか女の子だから」という話に落ちてしまっているのか。

当方は研究者の姿勢を問うているのです。



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