その二次創作BLは、本当に部分的だったから売れなくなったのです。~バブル崩壊と同人

  18, 2017 11:05
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まず、1970年代プロ作品を念頭に置いたBLの本質論。その後、例によって変なクレームの検討。という順序で論述を進めます。

男性作家が女性を主人公として、その心理を女言葉を使って描写することは、もう室町時代から行われていたと言っていいでしょう。能・浄瑠璃・歌舞伎の脚本などを含めることができるからです。

男性映画監督が女優を用いて女性の一生を描写することもよくありますね。この場合「このような差別的な悲劇をまた繰り返すと面白いよ♪」ということではないです。

「二度とこのような悲劇を繰り返してはならない」とか「若い女性も、あれでけっこう苦労してるんだから、あんまりからかっちゃ可哀想だぜ」とか、雰囲気はいろいろですけれども、だいたいにおいて教訓の意味合いを持たせてあるものです。

とすれば、女性作家(漫画家)が男性の一生を描写してもいいはずです。

この時点で「女のくせに生意気な」と言われたら、真正面から「女性差別です!」と言い返すことができます。

では、そのハードルを乗り越えて「せっかく歌や踊りの才能がある若者だったのに、顔が女性的という理由で悪い男たちのおもちゃにされて、麻薬や暴力によって命を奪われてしまった」という話を書いた場合?

この話の教訓は「二度とこのような悲劇を繰り返してはならない。悪いおとなの男たちは反省すべきである。若者を伸びのびと成長させてやるべきである」というものになり、一般的な婦人運動に結びつくと言えるでしょう。

この場合「こういうことは女性の人生にも起こることです。これは女性の悲劇を少年に差し替えて表現することによって、男性社会への皮肉としたものです」という批評も正当性を持ちます。

でも、それだけでは済まないのがBLです。

【BLの特殊性】

ここで重要なのは、劇中において、そのような少年の悲劇を追悼し、彼とともに過ごした青春の日々を懐かしむ人物が女性ではないことですね。

女性映画の場合は、悲劇の後で生き残った男性が「あのおばさんはいい人だったなァ」とか「あの娘は可哀想なことしたなァ」って言うわけです。監督・脚本家の心理の代弁者ですね。

でも、BLに結末をつけるのは無力感に打ちひしがれる女教師でもなければ、妹でもなく、姉が「弟のかたきを討つ!」という話でもない。

最後のパターンであれば、男勝りの女と女性的な若者ですから、ウーマンリブ時代にふさわしい男女逆転と言えます。女が男を「守ってやる」と言うわけです。

けれども、実際にはそうなっていない。不思議な少年に出会ってしまったというほうも男(の子)なわけです。

もともと戦前の男性が書いた自伝的小説における寄宿学校の描写を参考にしているからですが、それ自体は「女性映画・少女漫画などが女性の社会進出を描く段階に達してしまい、女流が手がけるべき主題がなくなった」という頃に、第三の道として選択された主題です。

そこに独身の成人だった女流創作家自身がどのような精神性を籠めたかというのは別の問題。ここでは、そのようにして始まった創作物そのものの構造を見ます。

【BLのキャラクター構成と基本プロット】

才能ある若者。それを差別し、搾取する悪い男。彼らを見て「被害者を助けてやりたい」という第三者。

じつはBLのキャラクター構成は、この三種によって成り立っている。まずこれを前提しましょう。ここから物語がどう動くかは創作家しだい。まさに腕の見せどころです。

才能ある若者が第三者によって救い出され、平和に暮らせるようになる。伝統的なハッピーエンドですね。逆に才能ある若者が搾取者に愛着しており、救助者が徒労に終わるという作品も実在します。

悪者はいなくなったけれども、才能ある若者と救助者の仲が進展せず、暗い感じの結末を迎えたという作品もあります。

永井荷風が言った通り、創作家は「他人の持ち歌(スタンダードナンバー)を唄う」ということができないので、それぞれに「ひねり」を入れるのです。

で、この場合、プロットはどうなるかというと、まず、才能ある若者・搾取者・救助者が読者に紹介されますね。続いて若者が搾取される描写。救助者がそれを知る。続く場面は救助の場面です。手に手を取って逃げるかもしれないし、それに先んじて派手なアクションシーンになるかもしれない。

結末は「追いつめられて心中」または「せっかく助けたのに、すでに病魔に冒されていたので永の別れとなりました」または「無事に逃げおおせて、それからは末長く幸せに暮らしました」ですね。

つまり、プロ作品としてのBLは、ちゃんと山場も落ちもあるのです。

それは1970年代のプロ漫画家のレベルが高かったからというばかりではなく、小説を主体とした初期の専門誌『JUNE』の連載作品もそうですし、1990年代以降に「ボーイズラブ」の名で総称されるようになった読みきり文庫作品も、そうなっているはずなのです。

つまり、読者はそれだけの読み応えを求めているのです。1980年代には少女だった人も、1990年代には成人しますから、それでもファンを続けるという人は、だんだん眼が肥えてくるわけです。

ここまで来ると、売れなくなった同人さんに何が起きたか見えてきます。

【売れなくなった理由】

じつは当方んところへ、ひじょうに暴力的な作品がよく売れたと自慢して来た人があったんですが、これは搾取の場面だけを繰り返していたということです。

二次なら二次でもいいんですが、有名キャラクターを被害者と救助者に振り分ければ、救助に成功してハッピーエンドというところまで持っていくことができます。読者に大きな感動を与えることができる(かもしれない)し、そのままプロデビューにもつながりやすいと言えます。

それだけの構成力があるなら、キャラクターの名前をオリジナルにすれば、同じプロットでデビュー作品にすることが可能だからです。

けれども、有名キャラクターを被害者・搾取者に振り分けてしまうと、もう延々と搾取の場面だけが続くわけで、物語に進展がない。

読者が若い間だけは、学業の合間のストレス解消として、それでも面白がってもらえたのです。けれども読者も歳を取る。高校・大学を卒業し、自分の人生を考えることになる。

このままこの職場に一生いるか? 結婚するか? 「脱サラして雑貨屋さんを開き、自由恋愛を楽しみつつ老後を迎える」なんて人生は楽しそうだけれども、先立つものが要る。

女性が開店資金を貯めるには何をすればいいのか? もう、美少年キャラクターの夢ばかり見てはいられないのです。

学校の勉強は、一夜漬けでもなんとかなった。ならないレベルの学校に通っている子は二次創作BLも読まないし、同人活動もしないわけです。イベントに行かずに模試に行くのです。本気で貯金したい子はアルバイトしてるのです。

「遊んでいても大丈夫」と思っていた子たちが、シャレにならなくなったのが、バブル崩壊です。

【同級生バブルの崩壊】

「M事件のせいで売れなくなった」という人があるんですが、正確にいうと事件の再発を恐れたメディア・一般人によって、漫画・アニメ文化全体が危険視され、有害図書指定運動も起きたので、その影響で同人誌も取り締まられたかのように言うわけです。

けれども、コミケが閉鎖されたことはありません。地方で開催されていた小規模な即売会が開催されなくなった可能性はあります。けれども、その最大の原因は、少子化と一極集中です。

その当時は、まさにバブル崩壊の影響が顕在化した頃です。

東京方面で就職または内定していた企業が倒産して、地元へ帰ってしまった人が多かったのです。親のリストラによって大学が続かなくなった人もいたでしょう。

いっぽうで地方経済も縮小したから、リストラを乗り越えて家計を立て直したご家庭のお子さんたちは、東京へ出るわけです。

その、あらためて上京してきた子たちは、もはや第二次ベビーブーマーではありません。1975年以降に出生した少子化世代であって、もともとの人数が少ない。しかも本当にアニメ世代で、キャラクターのビジュアルや声優さんが好きなのです。

彼(女)らに対して、ひと昔前の「性的好奇心のみに訴求する小説」というのは魅力をなくしたのです。

出展者のほうで、一般参加者の変化に対応できなくなったのです。

このクレーマーさんに限った話をすれば、原作の題号を言っちゃうほど迂闊な人なんですが、ほかの作品の話題が出てこないのです。つまり特定の作品の流行の波に乗って、その時だけ参加したタイプなのです。ひらたく言うと、イナゴです。

それが本当に山も落ちもない搾取・暴力の場面だけ書いていたので、読者が歳を取って「もっと読み応えのあるものを」と思うようになると、見捨てられたのです。

その後で「ジャンル」の変化に対応し、若い人の要望に応え続ける努力をしなければ、それで終わりです。M事件のせいではありません。自己責任です。

なお、一般論として、時々テレビのインタビューなどでもあることですが、自己正当化するつもりで辻褄の合わないことを言うと、かえって「検証してみよう」という気運を生じてしまいます。「山も落ちもない」という言葉を真に受けた人は、ほかにも他人が言った「何々のせいだ」という短絡的な愚痴をそのまま信じ込んでしまった可能性が高いです。

むかし耳から覚えたことを、口から出まかせにSNSで叫び続けるより、長い文章を書いて、読み直してみましょう。自分の論理がおかしいことに自分で気づくことができるようになれば、創作物の構成力も挙がります。

若い人は、学校で教わる論文の書き方は「漫画のプロットを立てるためにも役立つ」と思って、よく勉強してください。(どんなに短くても、いい話ってのは、ちゃんとできてるのです)

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