1960年9月、森一生『不知火検校』大映

  20, 2017 11:04
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ああ、おカネがほしい、おカネがほしい。

製作:武田一義 企画:奥田久司 原作:宇野信夫 脚本:犬塚稔 撮影:相坂操一 録音:大谷巌 照明:中岡源権 美術:太田誠一 音楽:斉藤一郎 三味線:杵屋勝雄・杵屋三十朗

勝新太郎(1931年11月生まれ)、一世一代の大勝負。悪うござんす。

元来、目が大きくて可愛い顔をしてる人で、兄貴と同じむっちりした男の色気を好まれる向きも多いことと存じますが、アラカン・一夫・雷蔵・上原・佐田・鶴田……

映画観客動員数の鍵を女性が握っている関係上、面長で華奢な感じの人のほうが「美男」認定になりやすく、勝は彼らとかぶるようでかぶらないので、二大スター共演というよりは脇役あつかいになってしまうという損な人だったのが、えらく吹っ切ったようです。

まごうかたなく汚れ役で、ほかの美男にだったら製作側も振らないだろうし、振られても引き受けないでしょう。

勝はまさにその、自分が一流の美男役者にはなれない個性を逆手にとって演技力で勝負したわけで、ややコミカルな盲人描写は現代の市民道徳からするとあれなのかもしれませんが、本人の演技にかける真摯さこそ本物です。

まさかのワンカット移動撮影をタイトルバックに、人名を横書きにしたオープニングも、現代の眼でなにげなく観てしまいますが、1950年代の文芸路線に較べると、かなり斬新です。

撮るほうも撮るほうで吹っ切れてるようで、本篇でも大胆にカメラを振ってみたり、主人公の心象風景に舞台劇のような幻想的な演出を取り入れるなど、「松竹ヌーヴェルヴァーグそこのけ」というべき表現力で押し進みます。

今日も豪壮な大映セットはいろんな構図が可能です。コントラスト強めなモノクロ撮影は「劇画調」というのがいいかもしれません。

テレビ普及後の世の中は、女性が出歩かないでもドラマ鑑賞できるようになったので、映画にとっては試練の時代だったんですが……

かえって想定観客を男性に絞り込むことによって表現の自由を得たようにも思われます。黒澤の三十郎シリーズ、東映ギャング・任侠シリーズもこの路線ですね。

それを後から女性が観て「女性に失礼よ」と言うなら、映画館に通い続けてやればよかっただけのことです。

というわけで、お話のほうは、かなり腹のくくれたストレート成人男性向けなので、苦手な方は無理に御覧にならなくてようございます。(なんでもそうですが)

個人的には『大菩薩峠』の微妙さよりも、むしろ爽快かと思います。

もとが歌舞伎のグロテスクぶりであることが画面からも伝わって参りますが、原作者が本当に歌舞伎畑の人でした。

脚本家は『座頭市物語』と同じ人。この人の書く台詞と勝の相性がよかったのだと思うよりほかございません。

1960年代は、悪いヒーローが目立った時代かと思われますが、女性がストッキングとともに強くなった横で、激越な経済成長を始めつつも安保更改を阻止ならない日本男子のナルシシズムが、だいぶ鬱屈し始めていたのかもしれません。

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