Misha's Casket

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お客さん気分の出展者。

「同人誌ってゆぅのは、べつに好きでもない有名キャラクターを利用して、原作を無視して、ほかの同人が書いたものを真似して、とにかくすごくエロいことだけ書けば、お小遣いがもらえるのよ。そおゆうゲームなのよ」と思っちゃった出展者。

それでは通用しなくなった後は努力しません。「個人的に出展するのが当たり前」と言いつつ、ほんとうに在野の個人として創作・自費出版を続け、委託販売に出したり、通販サイトを開設したりしません。

権利問題でピンチになった時も、自分で法令を調べてみたり、論陣を張ったりってことをしません。あくまで、他人が用意してくれた場所で遊ばせてもらっていただけなのです。

つまり、バブル時代に流行した「アッシー、メッシー」などと呼んで男性を使いながら夜遊びしたり、親には迷惑かけないと称して「援助交際」と言いながら夜遊びのついでに売春したりするのと「乗り」が同じなのです。

その時だけ遊んでいるつもりで、いずれは卒業して就職して……と思っていたのです。昔の女郎のように「一生この遊郭から出られない」とは思っていなかったわけです。

そんな「同人誌ごっこ」が流行した時代もあったねと思えばいいです。その時代を知っている人が「同人誌とはアニパロです!」と言っちゃうなら「アニパロ族」とでも呼べばいいのかもしれません。

プロになるつもりはまったくなく、「本当は少女漫画家になりたかった」と言いながら、じつはそれはベテラン同人の言ったことを真似しているだけで、自分では一回も少女漫画原稿を描き上げたことがなく、ほんとうに最初から「アニパロ小説を書けばいいだけの簡単なお仕事」だと思っていた。そーゆー人。

それが後々になって「あのとき同人やらなきゃよかった」と思ってしまうと、当時の仲間の悪口を言ったり、現役を憎悪して悪い噂を広めようとしたりするのです。ようするに「バブル時代に遊んでしまった中年」です。

それが自己責任で遊んでいたことを認めたくないので「母親のせいだ」と言うのです。

最後の基地はお母さん。母親を切り札に使って「弱者特権」を得ようとするのです。母親のトラウマというのは世界共通なので、同情を得やすいという計算です。

こういう人が「退屈だから新宿二丁目へ行ってみよう」と思いついてしまうと、口先では「弱者の連帯」を唱えつつ、自分で女性のための人権運動を組織しようとはせず、ゲイバーでヒャッハーするだけという人になってしまうわけです。

つまり、いつ、どこへ行っても、他人が用意してくれた場所へお客さんとして乗り込むだけなのです。そして早速、隠語を使うのです。同人誌即売会で覚えた「がゆん」なんて略語を即売会の会場以外の場所で使うのと同じように、新宿二丁目以外の場所で「ニチョ」なんて言うのです。

(※「がゆん」=高河ゆん。「ニチョ」=二丁目)

おそらく一般人の前で業界用語を使うことが都会的だと信じているのです。1980年代に流行しましたね。でも「通」のふりをする客は、粋じゃないのです。

そういう人は、やっぱりと言うべきか、ツイッターを使う時も「ゆるいつながり」という言葉を真に受けて、一般的な礼儀を無視するのです。

「だって、ツイッターはゆるいつながりを楽しむところなのよ。わざと失礼な言い方するところなのよ。そんなことも知らないの~~?w」と思い込んでいるのです。なにごとも真に受けやすいのです。で、自分が放射脳に粘着されたり、廃人と呼ばれたりする羽目になるのです。

これはもう本当に当方自身が最近やっと理解したので申し上げておきます。キーワードは、お客さん

考えてみると、急激に「社会進出」して購買力を上げた戦後の女性というのは、男性中心社会にとっての「お客さん」でしかなかったのかもしれません。だからこそ、評論家もマスメディアも面白がって「少女に何が起きているのか!?」と盛んに論じたがったのです。

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