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誰が誰を「愛でる」のか。~おとなのフェミ、少女のフェミ

旧来のBL論は、それを主張している女性研究者たちが途中で何の話だったか忘れちゃったみたいなところがあって、本人たちの女性中心主義とBLが混同されているのです。

女性が若い男性を「愛でる」ことは、世間様も分かっているのです。清少納言も「若い男はいいわ~~」って書いているわけですし、昭和の女性はビートルズを迎えて失神したわけですし。

「若い燕」というのは外来語ではなく、近代日本のプレシューズ(青踏派)の領袖の恋人だった男性が自らを評した言葉ですね。平安時代の女流歌人・エッセイストたちも、当時としては例外的に学問があり、社会進出して、歴史に名を残したほどの人々だったわけです。

そういう人は自分の性愛的関心を臆することなく表現する。はしたないなどと言われることを恐れずに書き残す。そういうことは昔から一般人も分かっているわけです。

それなら、戦後社会にあってはホストクラブを立ち上げればよいのです。若い人には夜遊びのマナーを教えておけばいいのです。

【夜遊び教育と人権侵害】

すでに1989年に「1.57」という数字が発表された後で「女性は結婚を強制されるからBLに逃避せざるを得ない」などという時代錯誤な議論がなされたのがBL論です。

けれども、結婚が高齢化し、産まないという選択も可能になったのであれば、独身女性が異性と「遊ぶ」場所を用意した上で、正しい利用方法を教えればいいのです。

お店の人にあまり甘えないこと。プライベートな質問をしないこと。あとをつけて歩かないこと。盗撮しないこと。店員と客としてサービスを受けたことを「個人的に仲良くなった」と勘違いしないこと。

なぜ、BL派だけが、この教育を受けていないのか? 

性的な質問というのは、それを「プライバシー侵害だ。ジョークでは済まない」と感じる被害者がいる以上、犯罪です。

もし、二次創作同人活動していた女が「親告罪は実際に親告されなければ、またやってもよい。やったもん勝ち」と考える人間になってしまうのであれば、二次創作同人活動そのものを禁止したほうがよいことになってしまいます。

すでに1990年代の時点でゲイコミュニティはこの問題点を指摘したのです。けれども彼らも余分な隠語を使ったために混乱をきたし、フェミニストによって論点をすり替えられてしまいました。

二次創作BL同人のほうは、事実上フェミニストによって弁護され、無罪放免となったので、「世間知らずな女の子は何をやっても大目に見てもらえる」という勘違いを発生させ、コミケ会場ではなく他の行政区における犯罪を再発させ続けているのです。

当方は「実際に出展を経験した人は先輩から諸注意を受けたはずだから実在に迷惑かけることはないだろう」と思っていたのですが、どうもそうでもないようだから困るのです。

いや、自分では「もう同人やめた」と思った後になって、だからもう同人の先輩の注意にさからってもいいと思っちゃう人もあるらしいのです。本人の中に「同人やらなきゃよかった」という恨みがあると厄介です。わざと言いつけにさからおうとするからです。

日本政府と一般社会が「二次創作」というものを放任できるのは、それが実在被害の引き金にならない限りにおいてです。

【BL作家トランスゲイ説は無理】

BLの問題は、なぜ男性を「愛でる」目線が男性のものとして描かれているのか? ですよね。

この質問に脊髄反射したのが「じつは作家が男です」という弁明。すなわち、トランスゲイ説。

が、これは残念ながら無理があります。「今まで差別を恐れて黙っていたが、じつはトランスです」と言った瞬間から人権運動が始まるのが本当だからです。

すでに「トランスゲイ」という言葉を用いているからには、そういう概念を知っているわけですから、自分もその一人ですと言った以上、世界中の仲間と共闘し、戸籍の変更や、それにともなうペンネームの(男性的なものへの)変更、適合手術の公的支援の請願など、有名作家としてできること・しなければならないことがいくつかあるということになるはずです。

そういう著作を紹介した記事には「この筆者は現在ではトランス団体の理事長として活躍している。ホームページはこちら」ってな宣伝が載せられなければなりません。紹介記事を書いた記者・編集者の社会的責任として。でもそういうことにはなっていない。

それに「自分はトランスだが、コミケのお子様たちはお小遣い稼ぎが目的なだけだからトランスではない」というなら、ぜんぜん問題が解決していません。

同人が営利目的でBLを発行できるということは、買ってでも読みたい人間が存在するということです。彼女たちは何を考えているのか?

同人はトランスではないが、読者はトランスなのか? そんなに大勢のトランスが「自己実現できないから同人さんに著作権上のリスクを取ってもらわざるを得ない」というなら、政府はこれを放置してもよいのか?

プロ作家トランスゲイ説では、何も説明したことにならないのです。

そもそも「差別されるのは当たり前だから黙っているより仕方がない」という発想自体が差別する側のものです。これを言われたら本当のトランスが激怒することを想定できない時点で、言った本人がトランスではないこと確定です。

なぜ、プロ作家が拙速な自己弁護に走ったのか? 「責められている」と感じたからです。20年を費やした仕事の価値が否定されたと感じたからです。だから榊原の解説書は「悲しい」のです。

【論点は「なぜ女ではないのか」です】

フェミの先生たちは「愛でる」目線を強調しました。けれども重要なのは、それが女性キャラクターの目線として表現されていないことです。

だから「関係性萌え」という説明は無意味です。BLに対して質問する人々が知りたいのは「なぜ天井が男で、床が女という話ではないのか?」です。

だから「エロ目的」も無意味です。「女性にも性欲があるんですよ」も無意味です。その女性のエロスが、なぜ女性キャラクターによって表現されないのか? が論点だからです。

【心理描写重視】

本来、個々の読者が創作物に何を求め、何を味わうかは、人それぞれです。BL読者百万人いれば、答えは百万通りあると思えばいいです。

けれども「愛でる」目線が大事だという定義がなされ、それが女性キャラクター目線ではないという事実があるならば、単純に導き出されるのは「男性目線で愛でる」ことに意義がある、ということですね。

すなわち「彼を愛する彼」であるところの主人公の心理を女性が分かったような気になって書いたり読んだりする。

二十四年組作品なら、漫画の台詞として「彼を助けたい、近づきになりたい」といった心情が表現されていることが確認できます。

その「近づきになりたい」と思っている本人も女性好みの小奇麗な若者であるところがBL最大のポイントで、ヴェネチアの街角で頓死するオッサンではないわけです。鬚面で小太りのゲイバーのオネエ様でもないわけです。

だから「愛でる」目線が入れ子構造になっている。まず女性創作家・読者自身が「助けたい、近づきになりたい」と思ってるほうの若者の価値を認め、彼の眼を借りてもう一人の若者(でも美中年でもいいですが)を眺めることになります。

いちいちBL読者に「ほんとですか~~?」と確かめてみなくていいです。たんなる「叙述の視点」という作品批評上の問題です。当方は、小学館漫画賞を受賞した有名作品を念頭に置いています。

誰でも購読することができますから、紫綬褒章受賞者や大学学長の名誉回復のためにも、出版不況解消のためにも、買ってあげてください。

【肉体描写重視】

この時点で「そういう説明には違和感がある」という人は、どちらのキャラクターにも感情移入せずに「ふたつの肉体を娯楽商品として眺める」というポルノグラフィの観客の位置に自分を置いているからです。

「若い異性の肉体がふたつ登場することが魅力なのであって、彼ら自身がなに考えてるかはどーでもいい」

という意識であれば、上記のような説明は「なに難しそうなこと言ってんだか意味わかんない」と感じられるわけです。

だから脊髄反射的に「聞いてられないわ! BLはただのエロよ! 私の同人誌を売ってあげようか!?」とタイムラインの中心で叫んじまうことになります。

フォロワーさんのほとんどは「サイレント・マジョリティ」です。クレームせずに静かに離れていきます。

また、この場合、確かに女性目線でふたつの異性の肉体を眺めているので「女が男を愛でる」のですが、これは「同性愛を客体化し、消費する」ということそのものなので、ゲイコミュニティとの間にトラブルを生じやすくなります。

ゲイ自身の心情に配慮せず、見てるだけでいいと称してどこにでも割り込み、居座ってしまうのはこのタイプです。それが「弱者の連帯」を自称すると、社会的信用の点で致命的なので注意しましょう。

【おとなのフェミ】

基本的に、フェミニストというのはやっぱり女性上位主義・女性中心主義だと思えばいいです。

彼女たちにとって「男のふりをする」というのは屈辱なのです。だから本当は、BLの「男性の眼を借りて男性を愛でる」という構図が気に入らないのです。

だから、フェミニストによるBL論は、こじつけがましくなって行くのです。

「少女が女性キャラクターを描かないのは、グラマーな女性に違和感があるから」とか「男性漫画家が描いた少女キャラは可愛くないので二次利用したくないから」とか。

まるで「やむを得ず、無理して少年を描いている」と言いたいかのようですね。

でも、それならスレンダーな少女を描けばいいだけのことですし、可愛く二次創作すればいいです。少年キャラクターは可愛く描きなおしちゃうんですから。

ほんとうは彼女たち自身が、男性キャラクターの目線を借りる理由・必然性を分かっていないのです。「そんな必要ないわ。女性は女性として堂々と性欲を表現すべきよ」ってのが本来のフェミニズムなのです、やっぱり。

だから「女医が教えるなんとか」が本来のフェミニズムです。「男性は女性の肉体をよく理解して、女性がオーガズムに達することができるようにサービスしなさい(そして子どもができたら育児を手伝いなさい)」というのがフェミニズムなのです。

【少女のフェミニズム】

上記に対して「少女のフェミニズム」を主張するのが(少なくとも一部の)同人・BLファンなわけで、その立場からすると「同人またはBLはフェミとは別」なのです。

男性の肉体によって女性として定義してもらわなくても、男性キャラクターを二人まとめて「愛でる」ことによって精神的にも金銭的にも満足できるので、あたしに男は要らないぜ。

これを「テレビ視聴を人格形成の重要な要素とする高度消費社会に特有の、生理的欲求から遊離して後天的に構築された大脳新皮質的性欲。二次元コンプレックスと称する。ひじょうに特殊な性的少数者と言って言えないこともない」と定義してもいいです。

また、日本には浮世絵のように様式化した美術の伝統があるので「その業界に特有の表現技法の価値を認め、コレクションしている(にすぎない)」という主張も可能です。これなら嗜好の問題ですから、女性自身のプロフィールを問いませんので、BLは誰のものかなどというセクト主義・内ゲバを回避することができます。

だからこそ、ゲイと連帯できるつもりになってしまうと、たいがい自分が赤っ恥かくことになるので気をつけましょう。

また「私は二次元コンプレックスではないわ! アニメオタクなんかと一緒にしないで! 本物から生の話を聞きたいだけよ!」というと、実在の皆さんがひじょうにいやな顔をなさいますから、これも注意しましょう。

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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験・就活を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

映画評は、アップロードする以上は「下げる」ようなことは言わないことにしております。あらすじもあまり申し上げませんので、楽しみに御覧になってください。記事冒頭の色つき文字は映画中の台詞・挿入歌の歌詞からの引用です。

なお、取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・分割・削除しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。