1996年『トレインスポッティング』

  12, 2012 15:32
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ヘロイン中毒の青年たちの、どーもならん青春。良い子とお食事中の方は見ちゃいけません^^;
スコットランドも大変みたい。1980年代後半をイメージしており、主人公たちが遊ぶディスコ(って今いいませんな)で流れる曲が懐かしい感じです。

どうも『フルモンティ』からロバート・カーライルつながりで借りたようです。一見地味なんだけど、一度観たら忘れない俳優さんのような気がします。どうも見覚えがある……と思っていたら、今回調べ直したところ『司祭』の恋人役でした。あの時はパンクっぽい短髪だった気がする。ちょっと不良っぽいというのか、危険な色気のある感じでしたね。今回は「感じ」じゃなくて本当に危険な人でした^^; 『フルモンティ』ではいいお父さん役でしたが、いつ出てきてもタダモノには見えない、起爆力を秘めた人だと思います。

で、映画そのもの。面白かった!といっていいでしょう。1時間33分ほどの短め作品ですが、すごい密度でした。
タイトルは欧州の「鉄ちゃん」を意味するらしく、電車の車両を確かめたくて駅のホームを行ったり来たりする趣味を指すそうです(ウィキペさん『鉄道ファン』の項)
そこから「うろうろする」「行ったり戻ったりする」を意味させてあるらしいです。

『時計じかけのオレンジ』がまったり見えるほどのハイテンション。一般的には不愉快・不道徳というべきエピソードばかりなんだけど、場面切り替えの早さとアイディア満載の映像で引きずり込むように見せます。クラシック音楽のイメージダウンは『時計』と同じ手法ですな^^;

でも『時計じかけ』とは主人公の「醒めている」方向が違い、暴力が外へ向かわず、内向的・ダウナー系で、景気のよくないスコットランドで「まじめに働く」などといってもどうにもならない寂しさ・人柄の根の素直さをにじませており、「気持ちは分かる」みたいな、ちょっと切ない感じ。

主演ユアン・マクレガーもその友人たちも「ドキュメンタリーじゃないのか」と思うほどリアル感にあふれています。若い彼らが007に詳しいのは、エディンバラ出身のショーン・コネリーがいま(当時)なお郷土出身のスターだから。映画と大衆音楽へのうんちくが披露されるのは青春ものの作法みたいなもんだけど、それしか話題がない感じも身につまされます。

DVD特典のインタビューでは若い俳優たちの素顔が見られました。顔色悪すぎメイクでラリっちゃった役を熱演していた彼らは繊細で理知的、胸にせまりました。頭のいい俳優に難しい役をやらせる、イギリス流かなぁなど。

そして主人公がのっけからよく喋る。これもイギリス流ですね。英語がわかる人が見る前提。(アメリカ映画も白黒時代は長いナレーションから始まったんだけど)「誰に向かって喋っとるのか」とツッコミたいこの感じが、実は虚構性を高めるのですな。場面切り替えの早さを補ってもいるし。(清盛のナレも同じ手法なので、語りそのものがもう少し上手かったらねぇ)

こういう「集まっちゃ馬鹿やってる」という花火のような青春群像は、それ自体は「山なしオチなし意味なし」でもあるわけで、「ストーリー的にどう落とし前をつけるのか」と心配になり、不愉快な話題でも逆に見てしまうのですが、やっぱりというか途中から流れのある物語になりました。でなきゃ90分もちませんわな。

ベグビーを演じたカーライルはこのとき35歳、主人公レントンのユアン・マクレガーはちょうど10歳年下。ベグビーはつまり社会への不満ゆえの暴力がもっと外向きだった60年代~70年代を知っている人なわけで、集まってラリるだけの若者たちよりトガッてる・粋がってるけど、それだけ今もって社会で居場所が実はないわけで、苛立ってると。「不良」の定義も変わったというか、若者たちが賢くなったゆえの救われがたさというか、時代の違いが感じられて興味深かったです。

「悪」を主人公ではなくベグビーに背負わせたので最終的には明るい方向で収まりがつきます。ややシニカルながら「やっぱりそれがいいよ」って言いたくなりますね。

題材上、注射シーンが繰り返し映されます。時期的にエイズを生々しく話題にしています。そのあたりが「ぜったい無理」でなければ、『時計じかけ』以来の破滅的な青春描写の到達点・映像上の工夫の面白さという点で、見ておくと参考になる作品だと思います。
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