林芙美子・成瀬巳喜男『めし』再考。

  09, 2017 11:05
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どう考えても上原謙の横顔は「日本のグレイト・プロフィール」であって、映画界広しといえども、最も非凡なのです。

それを眺めて、また世紀の美人女優・原節子が「この平凡な横顔の男を支えて生きるのが私のつとめ」ってのは、やっぱり無理がある。

映画会社の興行的思惑によるものだったそうで、まァそりゃそうでしょうが、本来どうあるべきかと考えてみると、まずお互いに非凡だったからこそ、駆け落ち同然の熱愛結婚で結ばれたのです。周囲がうらやむくらい。

それが「結婚ってこんなことなの?」と愚痴をこぼしながら所帯やつれして行く。

劇中で決定的に不足だったのは「ヒロインが再就職・独立しようと思ったが、世間の無理解の壁に阻まれる」という描写だと思うのです。

すなわち本人は「自分はまだ若いからやり直せる」と思っていたのに、面接を受けに行くと、当時のこととて「うちは25歳まで」とか言われちゃう。そういう描写がなかったのです。

ヒロインは職業安定所の行列を見て、自分から気後れしてしまう。おそらく若い頃は父親の口利きか何かによって、労せずにタイピストなどの職を得ていたのでしょう。

それでもまァ、ヒロインが自分から「私は気弱な女でしかなかったんだわ」と自覚するには充分なんだけれども、だからといって、にっちもさっちも行かないというほどではない。そこから奮起してもいいわけですから。

決定打を欠いたままに、まるで何事もなかったかのように夫が迎えに来るわけですが、ほんとうはもう少しヒロインが打ちのめされたところで「こんな私でも迎えに来てくれる人がいる」という感動をターニングポイントにするべきだったでしょう。

じつは夫のほうも「色男、金と力はなかりけり」で、うだつの挙がるタイプではないのです。彼もだんだん老けて行く。その非凡な横顔の隣りに眠る幸せを最優先に相手を選んだのは、若かった頃の私自身だけれども。

自分にも相手にも夢が破れたからこそ、新しい一歩が始まるわけです。この夫は冷たい皮肉も言わず、怒鳴りもせず、揶揄もせずに迎えに来てくれる。その、のんびりした優しさがあるだけでいいじゃないか、と。

生活は厳しいけれども、まァ会社員と内職で、なんとかやって行けるかな……と。

配役が美男美女であることを活かすなら、そういう話だったろうと思います。


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