『平清盛』第36回が面白かったわけ。

  18, 2012 14:04
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……と、他が面白くなかったわけ。

『五十の宴』のあまりのグダグダっぷりに脚本家がひそかに交替したってこともないと思うけど、
ここのところ「比叡山の強訴」で素材が一貫していたわけである。三回くらい通して見てきたら面白い展開だった、溜飲の下がる形で決着がついた、というわけである。

強訴の責任者である明雲と清盛が剃髪をきっかけに和解し、視聴者に「なんだ、明雲てしゃれたところがあるな」「清盛と気が合うみたい」と思わせ、好感度を上げておいたのは大きい。
同時に後白河院が清盛を牽制するつもりで、まだ幼い息子を高倉帝として急いで即位させてしまったこと、
その足元を明雲にみられた、というふうにストーリーがつながっている。

また清盛が京都を留守にするにあたり、重盛に後任を任せ、それへすり寄ることで義兄の成親卿が旨みを吸おうとしたのが、まさにその平家と自分の上司(後白河院)の駆け引きの材料にされて翻弄された。楽あれば苦ありというか、皮肉がきいている。

時忠も、ここしばらく平家の跡目争いに口を出して自分の存在感を増そうとしていたのが、それどころではなく、吹けば飛ぶような存在であることが示された。

清盛のカリスマ性あってこそ、後白河院という暴風が堰き止められていたことが分かった。つまり彼が福原へ隠居したことが生きた。隠居しても何も起きなければ、ドラマの筋としては隠居させる意味がないのである。

その跡目争いに利害のある頼盛(清盛の弟)と、宗盛(清盛の息子で長男・重盛の異母弟)が、重盛の追い詰められていく姿を「他人事ではない」という表情でチラチラとうかがっていたのがきちんと映し取られていたのも見事であるとともに、人間関係を分かりやすくした。

また清盛自身が熱病によって体力を削がれたらしく、怒鳴らなくなったことと、年配者らしい渋い演技をみせるようになったことも大きい。「ゴッドファーザー」を演じてみたかったという松ケンは、よくやっていると思う。怪我の功名というか、寸白ありがとう
語り口にちょっと白河院(伊東四朗)を思わせるところがあったから、意識しているのかもしれない。

言ってしまうと「だいたい史実をつないだだけ」「史実から逆算して少し前から事件の関係者の人間描写をしておいただけ・布石を打っておいただけ」「そのほか(女の戦いなど)は描かなかっただけ」であり、「常識で考えてあり得ないゴリ押しの理屈は言わない」「情念で説明しない」だけであって、ごく当たり前のつくりかたであり、それで充分に面白い(最初からこうすりゃ良かった)ってことがやっと示された格好だ。

革命家じゃなくてビジネスマン

今までは、話が途中でどっか行っちゃってた。

海賊王になるといって、ならない。民のために院政を打倒するみたいなことをいっておいて、そこまではしない。

最初に「革新的な人物」のとらえかた・描き方を(おそらく幹部スタッフ全員が)勘違いし、いわゆるスティグマを与え、革命の夢を語らせてしまったせいで、前半は視聴者を苛立たせただけであり、数字的に残念なことになってしまった。

清盛はもちろん本当に身分制廃止も天皇制廃止もしていない。農地解放もしていない。財閥解体ならぬ藤原家解体を実行したわけでもない。政治的には迎合的だった。ドラマで描かれたように藤原家に邪魔されたにしても、だからといって(古代中国の歴史なら実例があるように)政敵を女子供にいたるまで処刑した、なんてことはなかった。ちょっと押しのけたけど。

藤原家の男性陣の理解を得て全国的に革新的な政治を行うことはできなかったにしても、自分の知行国の中では「小作人に土地を分け与える」「衛生状態のよい集合住宅を建ててやる」など実行してみても良かったのである。別にしてないんだから(してりゃもっと誉められただろう)彼は私財を社会に還元しなかった。だからこそ恨まれたのであり、「清盛さまは我々の恩人です!」といって民衆が(源氏から)平家を守るために一揆を起こしたってこともなかった。要するに彼は近代政治的・人権主義的な革命家ではなかった。

音戸や大輪田泊の開削は、ぶっちゃけ日宋貿易を独占するためである。博多に寄港させずに福原まで宋船を入れさせれば、とうぜん博多の貿易業者は上がったりである。一家離散などもあり得ただろう。彼はそれを「平相国」の権限と、すでに充分に蓄財した自分の金でやってしまっただけだ。他への配慮なんてなかった。冷徹なビジネスマン。その仕事ぶりの大胆さが「現代人みたいだ」ってことであり(ってことは現代人の自画自賛でもあり)、その後の西国諸都市の発展ぶりを見ると「掘っておいてくれて良かった」ということだ。

後白河院の院政じたいは停止させたが、きっかけは自分の所領問題であり、院政停止の後で、たとえば「科挙を実施した」「全国に農業指導して食料を増産した・施療院を設けて民衆の寿命をのばしてやった」てなことはない。

というわけで彼は革命家ではなかったので、ドラマはあのままだと「若い時に庶民出身の友だちと約束した革命の夢をあきらめざるを得なかった男の残念な一生」の物語になってしまう。

だから途中で後白河帝に挑発されて、彼とのいわゆる「すごろく勝負」=宮廷の位階をのぼりつめることを自己目的とする話に切り替えるしかなかった。だから保元の乱を前に「恩賞をつり上げる」などと突然頭が良くなったようなことをいうが、よくなった経緯も分からないし、昇りつめた後の絵が描けないから、意味不明な展開になって、だから清盛が出世してからのほうが数字は低い。せっかく綺麗にしたのに。

昇進が自己目的でいいんだ

忠盛からひきずった「武士の世」、清盛の発明である「面白き世」の意味が分からない。分かるわけがない。

たとえば「小作人にも武器を与え、軍事教練をほどこし、有事にそなえる」「土地を測量し、耕作者を確定して兵糧米の提出・蓄積管理を義務づけ、有事にそなえる」などといえば「武士らしい行政」「武士のための世の中」といえる。

もちろん実際にはそんなことはしていないのだから、要するに第一歩として「武士だからといって失礼なことを言わないでください」「(犬などの)差別用語を自粛してください」といえる立場に立つ(=位階をのぼる)こと以外に意味はなかったことになる。

で、それでよかった。あの時はその一歩が大変だったんだ、という話だ。

つまり「差別されていた者が差別されなくなった」という話だ。

庶民からも「しょせん王家の犬」と笑われていたものが「お武家様」「おさむらい様」と呼ばれ、道を譲られるようになった。浄土宗ではなく禅宗、雅楽ではなく能楽。舟あそびではなく茶の湯。独自の文化をもつ社会集団がピラミッドの真ん中より上のあたりに生まれた、その第一歩だったという話で、そのこと自体を評価されるべきなら、清盛くんの言う「民のための平等な政治を行うことが武士の誇り」という主張は、一足飛びの一足が大き過ぎた。

最初の一歩は、19世紀の開国日本が西欧に負けないために、その文化の本質と見ぬいて掲げたスローガン「富国強兵」と同じ、すなわち財と武力だった。そこに気づいた正盛の慧眼こそ「偉大な大殿」として描かれる必要があった。

海賊退治で豊かな知行国を手に入れ、兵力を増強し、さらに軍功を上げ、さらに財産を増して、「上」に賄賂を送り、さらに有利な知行国を手に入れる……という好循環を発生・維持させたのが正盛と忠盛で、なぜ清盛は弱冠十二歳でそれを否定するところから入らなければならなかったのか。

なぜ彼自身が「王家の犬」という差別意識にとらわれてしまっているのか。武士自身だってそう呼ばれたくはないだろうとなぜ思わないのか。そこから抜け出すための協力をなぜ思いつかないのか。自分自身が王家の出身だからか。そこから弾かれた寂しさからか。

であれば、なぜ彼は「王家」に近づこうとしなかったのか。あるいは内裏に忍び込み(射られそうだけど)、あるいは北面の立場を利用して鳥羽院に目通りを願うことをしなかったのか。「兄上」と呼びかけて許されず、「武士の分際で」とさげすまれ、家に帰れば「縁を切れ」と(主に忠正に)言われて、板挟みに泣く……(ちょっと似たことを第1話終盤でやってた)

あるいは王家とは逆ベクトルの「敵」ともいえる庶民代表の兎丸に「取り入るため」(=やりかたがズルい)と言われて傷つき、逆に彼ら庶民の仲間になろうとしてなりきれず、しょせん平家の御曹司でしかないことを知り、しかし(主に忠正に)「縁を切れ」と言われて板挟みに泣く……(だいたい似たことを第3話でやってた)

すなわち彼の疎外感を通じて「どこへいっても差別される武士」を描いたことは描いた。「位階をのぼること自体になんの意味があるのか?」と彼自身が疑問をもつことにより、当時の状況に不案内な視聴者の疑問を引き受け、それに答える形をとったわけだけども、……問題は共感を得られなかったことだ。「こいつと一緒に登りたい」と思わせられなかった。

何しろ「上にも下にも混ざれないのだから」と思い知り、平家の一員として北面参加を決意してからも、宮中でばかにされないだけのものを身につける努力を全くしたくない。化粧をするのも歌を理解するのも嫌だという。では男らしいことは上手いのか? 武芸さえも下手くそであるかのように描かれた(第4話。北面の武士の修練についていけない)

親(院)に捨てられた・同世代(兎丸)に傷つけられたゆえの中二病はいいとしても、なぜカッコ悪く設定される必要があったのか。院の血筋ゆえに雰囲気が高貴であり、母が白拍子であったゆえに舞楽にすぐれる……と思わせた第2話は、なんの意味もなかったのか。なぜ彼の中に「男らしい武士」というステレオタイプができあがっているのか。

提出される話題は常に唐突であり、それは継承されない。

そしてほぼ成り行きともいえる出世の果てに「武士の世」が生まれたこと、歴史学者は勿論それ自体を評価するが、ドラマとしては高い地位を庶民のための行政に生かしたわけではないから、前半の固い決意・友情から話はつながっていない……というのはやはり不手際だ。

「平家は武士か貴族か」という解釈の違いがあるが、鱸丸・兎丸のような庶民から見れば、平家はやっぱり「桓武天皇十代の後胤」を名乗る貴族であり、平家が藤原家を押しのけて太政大臣までのぼったというのは、雲の上の争いでしかない。

最初からそのつもりで「正盛以来の政治活動が功を奏して(平和な時代に書類仕事にはげんでも大した功績にはならないが)『世の中が荒れてくると、下級貴族であっても頭がよければ金儲けができ、武力によって宮中で出世できる』ことを示した」というだけで良かった。

そしてそのことを集中的に訴えるのであれば、「武士の生まれでも出世できる」ことをプッシュする必要があり、「白河院の血筋だから優遇されたわけではない」ことにしたほうが、むしろ良い。

わざわざ落胤説を採用して「忠盛の実子ではない」悩みを与え、ずいぶん引っ張ったが、落胤を引き取ったことによって平家が敬遠されて忠盛の出世がさまたげられたわけでも、逆に急に早まったわけでもない。ごく当たり前に「四位から上はダメだった」だけだ。白河院の落胤ネタは、実はなくてもいいエピソードだった……(忠盛の出世モチベーションになったことになっちゃいるけど)

「最初は清和源氏ではなく桓武平家がのし上がった秘密」ではなく、架空のもらわれっ子の自分探しばかり描いている。その「上つかたに立ち混ざりたくても、庶民になりきってしまいたくても『犬』と呼ばれる悲しみ」を(やや騒がしく)描いた第4回あたりまでは数字を保ったが、その後の展開(本人の目覚め)が遅い・繰り返すので、「何を描きたいのか分からない」から、数字はズリ下がった。

もののけの血はあんまり気にしていない

清盛は個人的なことでずいぶん悩んだが、出家する気も逐電する気もない。帰京した西行に「出家っていいものか?」「俺も衣川でも見に行ったら何か変わるかな」と聞いてみるわけでもない。「奥州の庶民のようすはどうだ、京より豊かか?」と聞いてみるわけでもない。出家にも政治にも、どちらにも興味が無い。「武士のちからで世の中を変える」と先に言っていたことと違う。

そもそも白河院の血筋であることをろくに気にかけていない。兄である鳥羽院ともっと膝をつめて話してみたい、甥である崇徳帝に会ってみたい等と思わない。北面らしく身奇麗にして歌を覚え、女房たちに渡りをつけ、あるいは家成卿にセッティングしてもらう等、思いつきもしない。

彼らは同じ「もののけの血」であることをどう思っているのか? なぜまともな政治をしないのか? 「白河院の子であることを知りながら」運命をうけいれた「平家のおのことして」俺が手伝ってあげられることはないか? 崇徳帝と佐藤義清の仲がいいなら、義清の才能を借り、武士や漁民の苦しみを和歌にして帝へ届けてみようか。いっそ崇徳帝をかついで軍事クーデターを起こそうか。

行動力からいうと御所の塀によじのぼって「兄ちゃーーん!」と手を振るぐらいのことはやりそうなものだったが
……
実際には宮中の人間関係さえ把握していない。たまに盛国か義清に教えてもらって「ほえー」「はわー」とか言ってる。アホ毛こぞうめ。

要するに忠盛だけが「武士の世」という「お志」のために(白河院の子であるから取り立ててもらいやすいはずという読みで)清盛を平家内に抱えておくことに執心しており、あるいは宗子さん的解釈としては、単に若いころ惚れた女の忘れ形見なので自分の手で育ててみたい(こっちのほうが重要かも)

清盛のほうでも父ちゃんが好きなので、その期待に応えたくて居座ってるわけだが、彼の関心は「忠盛の実子ではない」ことに集中してしまっており、「では誰なのか」と口先では問うが、白河院の子であることが(じつは第1回で早々に)判明してからも、「では何ができるか」とは30歳過ぎても考えない。

家盛がなくなる前に、彼へ相続権を譲る宣言をしたついでに「働かなくても親がいるさ」とうそぶけば、一部の国民への皮肉であることがはっきりしたかもしれない。皮肉のつもりはなかったとしたら、さらにお粗末である。

彼はつまり財産も手段もなく、テレビの前で「どうせ政治家なんて若い女と遊んでるだけじゃない!」と口ぶりだけは勇ましい主婦であり、
「冬の衣川とかあり得ねーー!」と同級生をからかう中高生であり、「通販で薬が買えなくなったから不便なんだよ!」と叫ぶ一消費者である。
インターネットに向かってつぶやくしかない一般視聴者をあまりにも代表してしまっていた。

「帝王の血筋をうけつぐ者として何ができるか? 政治家として立候補しよう! 俺が先に国会議員になって、県知事の父ちゃんを後押ししてあげよう! じいちゃんの残した基盤と財産を使わせてもらおう! 後援会長の家貞によろしく頼もう」とは決して思わなかった。第1話で「平家の犬」って忠盛にいわれたから、その後ずーっと忠盛の犬でいただけだ。

すでに元服しており、自分の知行国があったのだから、盛国と兎丸をつれて分家し、「清盛家」を興しても差し支えはなかった。忠盛(あるいは家盛)と協力して、二人そろって公卿になることを目指したって別にかまわない。そして自分の知行国で平等な政治をすればいい。乳父だった盛康の一党はついてきてくれたかもしれない。

実際にそんなことはしていないし、されたら(ドラマの展開上)困るんだからいいじゃないか、何が問題なのかといえば、「主人公が自分で言ったことを実現できない男」という人物設定・残念キャラクターになってしまうことだ。また「周囲の状況にうとい・自分の(特殊な)立場が読めない」人物になってしまうことで、これに苛々させられた人はだいぶいるはずだ。

家盛がなくなった年に31歳。再び帰京した西行から「よそ者だからこそ出来ることがありますよ」と諭されて「ハッ」とするが、実行したことは(ていよく使われているだけであることに今さら傷ついて『再建やめよー』とふてくされる父ちゃんに代わって)上から言われた通り宝塔を再建して平家の名を高めただけであり、べつによそ者ならでは出来なかったってほどでもない。ぶっちゃけ「よそにおる三と四」(経盛・教盛)でもやらせれば出来る。

忠盛も変ちゃ変で、宝塔再建を直接下命したのは鳥羽院&美福門院であり、悪左府頼長は彼らと対立する勢力であることは分かっているのだから、全力で宝塔を再建し、恩賞の代わりに頼長をこらしめてやって下さいと院に願い出たって悪かない。両勢力の間をうまく泳いでいたはずが、唐突に「上つかた」がみんな一緒くたになってしまっている。

逆に『もののけ』の遺伝子を恐れたわけでもない

「愛する女性をはらませてはいけない・苦労させてはいけない」などと悩むこともなかった。

明子からの返歌を義清に解読させて(この時点で宮廷人としてはダメだ)「断られておるではないか!」と叫ぶのは、マンガの呼吸で、それはそれで上手く演じており、場面としては面白いんだけれども、なにせ前のエピソード(白河院の血)を消化していない。恐れているのか。誇っているのか。単に忘れている、ということができるのか。

念のため白河院を『もののけ』と最初にいったのは(第2回の)信西であり、彼の反骨精神が言わせたものであり、彼自身は保元の乱の前後に悪役を買って出たこともあり、平治の乱で命を落としているので「不敬だ」と思った人も一応溜飲の下がる格好になっている。

清盛は彼の受け売りをして、白河院に「本当は自分がもののけみたいで怖いんでしょう」とうまいこと言った気分になった。当時まだ12歳(苦笑) 白河院は若造に失礼なことを言われたので「お前もだよ。にん♪」と言い返しただけだ。

ちなみに「本当は怖いんでしょ」とは、男性が言われると最も屈辱的であるセリフで、だからこそ挑発するために女が使う。『負けて 、勝つ』では吉田茂を叱るために小りんが使ってた。『清盛』の男性キャラクターは非常に女性的な発想で発言することがある。

で、問題はその「お前ももののけ」と言われたことを清盛が大して気にしていないことにある。第3話ではまだしも「俺など要らぬ」と泣いたが、第4話ではケロッとして「忠盛とーちゃんカッコいい」と喜び、第5・6話では「王家」が自分の血族であることを忘れて「面白い」しか言えない口先だけの革命小僧だ……

発言はすべて「なんちゃって」「だったらいいなと思って」「言ってみただけ」「べつに意味はない」であり、主人公も、脚本自体もそのようであった。つまるところ、あまりにも若者文化であり、当の若者にも冷笑された。

西行も、あの様子だと「ただ出てきただけ」のキャラクターである。熊谷直実みたいに「戦闘にいやけがさした」という描き方なら乱世へのアンチテーゼたり得るが、不倫で失恋しただけだ。

彼を登場させるなら、「彼がいたことによって清盛と崇徳帝との間にパイプが通じた」っていうふうに主人公にひきつけていかないと意味が無い。どうも主人公(と脚本)がそのことに気づいたのが忠盛がなくなってからなんだよね……。

※ 数字的には(海賊退治の回で落とした後は)頼長と義清が活躍した回がちょっと高くて、清盛が活躍した回が低い(;´∀`)

数字的に致命的だったのは、じつは「神回」と呼ばれた第20話だ。第16話「さらば、父上」はもっと低いが、これは回想シーンが多かったので「今回は見なくてもいいや」と判断して、チャンネルを替えた人が多かったとしても不思議はない。

今更どっちとか

第20話は、清盛が棟梁に就任して画面も小奇麗になり、わりと順調だった後で、保元の乱を控えて鎮西為朝の参加・蒲田親子の別れなど勇ましい場面が多かった回であり、テンポもよく、その代わりエロスやグロテスクな場面は無かった。面白く見られる回だったのに何がダメかといえば、前回(第19話)終幕で主人公が剣を突きつけて崇徳院を追い返しておきながら、第20話になって「どっちの陣営につくか迷ってる」という描写があることで、今更どっちにつくもへったくれもあるか。

「いずれ乱は避けられない」ことを信西にさとされて、熟慮の末に鞘を払ったのであれば、「鳥羽院警備隊長である平家の棟梁として、鳥羽院=美福門院=信西連合を代表し、『さっさと自分の御所へ帰って防備を固めなさい』といった」も同然だ。史実では先手をとったのは信西だが、あのドラマ中では真っ先に宣戦布告したのは清盛だ。

それで寄る辺をなくした新院に左府が接触したのを、信西が謀反人よばわりしたのだから、清盛としては「信西の味方しといて良かったーー」「謀反人の仲間にされなくて良かったーー」っていうだけだ。あとは後白河帝を相手に「だまって言うこと聞いちゃ面白くないから、何くれる?」という交渉をすればよいというかそれしかないので、「どっちか決めてください」っていう一門もおかしい。「なぜ勝手に後白河側に決めたんですか」っていうならともかく。

俺だって不本意だった、甥っ子でもある崇徳院に味方したかった、(重仁親王は乳兄弟だし)しかし鳥羽院にはよくしてもらったし今はまだ美福門院にさからうのは上手くない、崇徳院チームはすでに信西に先手を取られて謀反人呼ばわりで勝ち目はない、平家も一緒に滅びることを避けるためには切り捨てるしかない、しかし後白河帝に安く尻尾をふるつもりもない、最大兵力である我々が動かなければ、どっちみち乱は起きないのだ、都を戦禍にまきこまないのであれば、それはそれでよいではないか、皆々浮き足立つでない、俺はきっと後白河帝を勝利に導き、諸君の恩賞をもぎとってみせる……

理屈はそういうことで、だから清盛はずっと仏頂面してるんだけど、伝わっていない。ていうか言うべきだった。「後白河さんは私達のこと分かってくれてる」とか言ってないで。弓を射るカッコ良さが上っすべりしている。

仮に新院が「こないだの無礼は許してやるから、どうかこっちの味方について下さい」って言ってきたなら、そこはもっと盛り上がるところのはずだ。本人たちは悔しがるだろうが使者として高位高官を派遣し、時忠などへ取り込み工作・接待攻撃をかけ、新院からの親書と着物・香木など贈り物をたずさえて、清盛もむげには断れないように追い込む必要がある。もちろん清盛はそれを迎えれば謀反側とみなされてしまう際どい場面となる。それを「狩りに行く」などといって逃げてしまう等々……

天皇(上皇)に切っ先を向ける不敬とともに、そういう恐るべき展開が前回にあったことをきちんと引き受けていないから、肝心なところがぼんやりしている。あげくの果てに後白河帝と清盛の交渉結果が「だって約束したんだもん」とテレパシーで通じ、恋愛関係にあるようなくちぶりだったので、敬遠された……

まだ終わってないのに総論になってしまった

脚本とスタッフの紆余曲折を描いたドキュメンタリーなのかもしれない。

気持ちを新たにあと14回に臨む。渋くなった清盛(また熱病でうなされるのか)とエスパー遮那とゴージャス秀衡を見てやらないと。

ああ、頼朝が(第1~3話アバンタイトルで言ってたみたいな)変なこと言いそうなのがちょっと心配(・∀・) 

クサナギノツルギは「天皇家がふるう正義としての暴力の象徴」なわけだから、それが安徳天皇(とその祖父である清盛)を懐かしんで「波の下の都」にあり、頼朝の手に来ないというのは非常にまずいと思うよ……
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