2017/05/12

宮川泰『英雄の丘』を聴きながら。

沖田の、子どもたちが行く。
(1978年『さらば宇宙戦艦ヤマト』より)

沖田艦長と藤堂長官と佐渡先生の友情描写には胸熱なわけですが、彼らがどのような修羅場をともにくぐって硬い友情を築いたのかと考えてみると……

ないよね?

ガミラスが爆弾攻撃をしかけてくるまでは、地球はエアカーが疾走する未来文明を繁栄させていたわけで、戦乱につぐ戦乱ということではなかったはずなのです。

ガミラス以外の異星人が登場して「地球に援軍を送る」とか「漁夫の利を狙う」という描写がないわけですから、地球人が太陽系進出するに当たって、火星人や木星人を相手に戦乱の時代を経験したということではないのです。

だから、友情の基礎があるとしたら、たんなる兵学校の同期でしょう。

あの作品は、最初からテレビ放映を意図してオリジナル脚本が用意されたもので、誰か原作小説家または漫画家が深い設定を考えてあるというわけではないのです。

だからこそ、ファンが二次創作する余地もあるわけで、二次創作というのは性的なジョークのことではなく、さまざまな作風があり得るのです。同人活動に偏見を持ったまま、自分も同人活動始めてしまったという人の話は聞かなくていいです。

話を戻すと、1970年代のアニメ制作の時点で、プロデューサー以下スタッフの中に「俺たちのひとつ上の世代はみんな戦争に行って、男を磨いたんだ」という意識が多かれ少なかれあって、それがそのまま反映されているわけです。

ガミラスの攻撃も「ここ数年の間に急激に追いつめられてしまった」という話であって、明らかに太平洋戦争の急展開が反映している。

宮川の曲も、それを念頭に、実際の戦時中の軍歌または戦時歌謡のような旋律・編曲になっている。

これを外国の皆様が御覧になったら「日本人は過去に生きている」と思うのが当然なのです。まして金髪の人物が侵略者として描かれている。欧米人(連合国)が観たら、微妙なコンプレックスを刺激されるわけです。

だから「日本のアニメは暴力的だから良くない」と欧米人が言うときは、暗黙のうちに民族対立が響いていると思えばいいです。したがって「こんどは暴力描写をなくしたから金髪が悪役でもいいでしょ♪」というわけではないです。

いっぽう、単純に音楽要素から言うと、宮川の楽曲は、ババジャニアンの1970年代作品によく似ています。ああ、交響曲の世界でこういうのが流行だったんだな……と思ったことがあります。

ババジャニアンはアルメニア出身で、アルメニアの音楽教育に尽力した人ですが、「ソ連人民芸術家」でもあって、そこから連想すると、ロシア語圏には男性合唱の伝統があるようで、いまでもオペラ歌手をスターとしてあつかうようです。イタリアの三大テノールほど世界的に有名ではなくても、おさおさ引けを取らない歌手が大勢います。

日本は、それを昭和初期までに模倣し尽してしまったので、戦後はすみやかにロック音楽にシフトしたと言えるところがあるでしょう。宮川が交響曲の流行を紹介するとともに、ジャズとハードロックの素養があり、ヤマトのドラマに乗せて発表したことは「日本のサブカル」の方向性に大きな影響を与えたと思います。(あえて真顔で)

その宮川を起用することができたのは、西崎義展の人脈によるものなので、毀誉褒貶の大きかった人物ですけれども、やっぱり日本のサブカルは西崎に足むけて寝られないな……と思うのでした。

なお、リメイク版は、ちゃんとシリーズが続いているので、現代の若者にもスペースオペラが訴求することを示した点で功績は大だと思います。

バッシングの根本は、真面目なアニメファンと、初期の漫画同人会にとって「二次創作の連中に荒らされてしまったな」という恨みが深いことなのです。(正確にいうと、原作無視の自称二次創作)

だから、リメイク版の美少年・美少女路線は、オールドファンの逆鱗を刺激するのです。

だから耽美系・BL系の女性が「私はいまのヤマトも好きよ」と言ってやっても、火に油を注ぐだけなのです。だからどうってこともないですが、そういう事情もあります、というお話。

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