Misha's Casket

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娘の自立の陥穽。

二十八歳にもなって朝っぱらから「私たち女の子にピッタリのプチ化粧品♪」とかほざいてる女子アナの皆さんはですね、ちゃんと入社試験を受けたですよ。

顔が可愛いだけで採用してもらえたと悪口を言うことは簡単なんですけれども、採用に先立って、本人の自由意志によって入社試験の日取りと場所を調べ、申し込みをして、スーツも買って、めんどくさがらずに出かけたのです。

面接室に入る時には大きな声で挨拶できたに決まってるし、「在学中は何をしていましたか」と訊かれて「ゴロゴロしてました」と答えたわけはないのです。人によっては何年も前から専門の勉強をしたり、自分でビデオ撮り&アフレコしたりと、がんばっていたのです。同級生や家族からからかわれたとしても、めげなかったのです。

中年になっても漫画同人やってる女も同じです。親から「いいかげんにしろ」と言われても、同級生から「まだ独身なんて可哀想」と言われても、若い人から「いつまでやるんですか?」と笑われても、くじけなかったのです。

ふざけんなあああ」と思いながら、その気持ちを(やや公序良俗的観点からはアレな)漫画に籠めたのです。

【既婚夫人は仕事を覚える】

じつは既婚夫人というのは、夫の手伝いという形で仕事を覚えるのです。キュリー夫人は好例ですね。

現代でも、誰々さんが作った青果ですといって名前が表に出るのは夫なんですけれども、土起こしにも草取りにも摘果にも選別にも女性の手が入るのです。むしろ主力ということも多いですね。

ときには夫の名代として会合に出席したり、会計を担当したり、挨拶状を書いたりもする。また日本の女性はそれができるだけの教育を与えられている。

仁侠映画では、親分不在のあいだ、その配偶者である女性が「あねさん」と呼ばれて若い衆から尊敬される様子が描かれていますね。

じゃあ、娘はどうか? 鬼龍院花子は「あねさん教育」を受けているかっていうと、受けていないのです。お嬢さんはお嬢さんなのです。父親の仕事を手伝うのではなく、まず嫁入りして、夫の仕事を補佐することが期待されているのです。その際の指導者が姑です。

そのために、まず花嫁修業する必要がある。いわゆる永久就職のための就職活動をするわけです。

これに反旗を翻したのが、1970年代ウーマンリブ。独身の女性に男とおなじ仕事を覚えさせろというのです。

それまでの婦人運動は結婚が前提で、夫の勤務負担の軽減要求や、子どものための環境運動が主流だったのです。反戦運動も「息子を戦場に送るな」という母心が基礎ですね。

だから独身女性の社会進出運動は、男性の偏見と、母権的運動の両方に対して、差異化を図る必要があった。だから「父親の仕事を覚える娘」であろうとしたのです。

だからこそ、これがアキレス腱となるのです。父・母・娘という従来の枠組みに収まっているからです。その中にいるかぎり「お嫁に行けない娘(もらい手のない娘)」という価値観を逃れることはできないのです。

【自分で自分を差別】

「成人した女性が独立するのは当たり前ですよ」と言い切ることができなかった。私を「女の子」なんて呼ばないでください、ちゃんと税金も納めてるんですから、もう子どもじゃありませんと言うことができなかった。

自分自身が「おとなの男性(の肉体)によって、おとなの女にしてもらう」という既成概念に立脚しているのです。

自分で自分を「結婚していなければ、おとなとは言えない」と差別しているのです。

それを言っているかぎり「そうね。本当だわ。いつまでも子どものままなんて可哀想」と言われることを防ぐことはできないのです。

それに対抗するつもりで「子どものまま、サイコーー! すっごい楽しい~~!」と言おうとするから、過剰に子どもっぽいマナー違反をすることになるのです。

この「自分自身が既成概念から出ていない」という状態で、ゲイコミュニティに走りこんで「一般社会の既成概念を打ち壊すために連帯しましょう」と言っても、相手にされないのです。


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