直輸入的フェミニズム批評の世界同時革命ごっこ。

  17, 2017 11:03
  •  -
  •  -
もともと「ハズバンド」というのは、ハウスをバンドする。すなわち家計を束ねる人という意味だそうで、「ワイフ」はその女というだけの意味なのだそうです。

つまり欧米では家計を宰領するのは男性の役目で、家事・育児に必要な金額だけを「俺の女」に支給するという発想なのだそうです。

だからこそ、欧米の女性は「私は男性社会の再生産のための雇われ人ではない。一人で生きて行く」という激烈なフェミニズム運動を展開したのです。

いっぽう、日本では、すでに1961年の森茉莉の時点で、女性が特殊な創作物の原稿を編集者に見せたとき、瞬間「ボツ」にならず、印刷所に回され、全国誌に掲載され、その読者から恐るべきボイコット運動が起きたということもなく、ただちに豪華装丁で単行本が発行されたのです。

この時点で新潮社の担当編集員も、編集長も、社長も、株主の多くも男性だったと考えることができますね。

田山花袋の作品に、地方在住の女性読者が「小説家として自立したいので先生のお力添えを賜りたく」という手紙をよこす場面があるくらいで、日本の女性は文筆家として自立することを禁止されていなかったのです。

青踏社はもちろん、啓発されたアマチュア女権運動家による(社会批判や議論のための)同人誌発行というのも戦前からあったのです。

戦時中は男女とも自由恋愛・性的娯楽を制限されたわけですが、1950年代を通じてだんだん一般向け映画における表現も踏み込んだものになって行き、最終的に1961年に、女性が男性中心主義(成人男性の独善性)の最後の牙城に手をかけたというのが、彼らの美少年趣味に女流の筆が言及したことだったのです。

1970年代には、茉莉よりも数十歳も若い女性たちが、おなじ主題を漫画として表現したとき、男性の編集長がそれを破り捨てたのではなく、少女向け全国誌への掲載を決定しました。堂々カラーページつき。

それに触発されて、同人も活動を始めた(または飛躍的に盛んになった)というのであれば、日本のBL市場は最初からストレート男女の二人三脚です。

それは男性社会に抑圧された少女たちの自発ではありません。暗い情念がアンダーグラウンドをのたうちまわったのではありません。最初から成人男性のエスコートを受けて、表舞台に立ったのです。

これを、直輸入・直訳レベルのフェミニズム批評では、批評しきれないのです。日本文化の独自性を無視している。

これ何に似ているかというと、やっぱり各国の歴史的事情を無視して世界同時革命の夢を見ていた新左翼なのです。

つまり、プロと同人を混同した上で、BL全体を少女の自発によってアンダーグラウンドで成長した分野として定義したがった1990年代のフェミニズム批評は、学生運動レベルのプロパガンダであり、嘘だったのです。

「資本家が社会を支配している」とか「アメリカ帝国主義の陰謀だ」とか、まァそういうのと同じです。まるっきりの嘘でもないんだけれども肝心な点を外している。

その資本主義のおかげで大学へ通えてるのは誰だ? みたいなね。

では、実際の日本を特徴づけるものは何か?

女流文学の伝統、衆道を美化する伝統、宗教的タブーの欠落(舶来宗教と土着アニミズムを折半して来たことによる規範意識の曖昧性・世俗主義)、敗戦による男性中心主義の挫折と相対的な女性中心主義の急成長、そもそも古代の女性中心主義の継承。すなわち女性の権利に対する一定の理解や尊敬。

そういう日本の独自性を勘案しないことには、なぜ世界中で日本だけがBL文化を繁栄させることができたのか解明することにはならないのです。

Related Entries