創作家の男女差を意識した件。

  18, 2017 11:02
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じつはですね。立原あゆみ氏を女性だと思っていたのです。けれども違和感はあったのです。「女流の筆からこの台詞が出てくるのは珍しいな」っていう。

真相を知ったとき、なるほどと思いました。以来、創作家の性別自認・それに基づく価値観の違いは創作物に反映されるというのが持論です。

なにもフェミニズム批評をイデオロギー的に遵守しているわけではないです。だから「フェミの言いぐさのほうがおかしいだろ」と思えば、そう申します。

ためしに、竹宮恵子『風と木の詩』について言えば、途中で魅力的な少女キャラクターが登場し、身心の自立を求める姿が活写されております。主人公の少年は、彼女に出会うことで人間存在の多様性に気づき、自分自身も民族差別を受けていることに対して、またひとつ自尊感情を深める。だからこそ、もう一人の少年を異常な境遇から救い出してやりたいという動機も強まって行くのです。

それが結果的に大人社会の独善性によって挫折させられるので「少年愛は切ない」で間違いじゃないんですけれども、その要素だけを取り上げるのが正しい批評ではないです。

というようなお話を続けているつもりでおります。ご理解を賜れば幸甚に存じます。

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