『ベルサイユのばら』の影。

  01, 2017 11:03
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1990年代のBL論が混乱したのはですね。評論家たちの脳裏に1970年代の「男装の麗人」の大ヒットの印象があって、今やひじょうに多くの少女が従来のお姫様(=お嫁さん)には憧れなくなり、男性化・自由化を求めているという先入観ができ上がっていたからなのです。

しかもプロ作家・漫画家と同人誌即売会関係者を同じ隠語(「やおい」)で呼んで混同していたので、ひじょうに多くの女性を話題にしているかのように思い込むことができたのです。

1990年代なら、まだBL系の漫画が少女向け雑誌に少女漫画と一緒に載っていたので、評論家たちは「これらの少女向け雑誌を読むすべての少女がこのような作品を望んでいる」と思うことができたのです。

さらに発想の根本に「資本主義から共産主義へ」という段階的発展論を引きずっていたので「少女漫画からBLへ」生産様式が移行するはずだという先入観もあったのです。

だから女性側の言説は「いまやすべての女性が」という主語だったのです。

いまやすべての女性がひじょうに男性化した女性として美少年を「愛でる」のが当たり前。いまさら女性キャラクターとして愛でるということはあり得ない。

そういう前提だから「愛でる」と言えば通用すると思っちゃったのです。

だから男性陣としては最初から「なぜ男同士なの? なぜ男性を愛でる心理を女性キャラクターとして表現しないの?」という疑問なのに、「愛でるんですよ」と答えるから、行き違っちゃうのです。

けれども現実は、すでにレディコミが流行しており、少女漫画も世界的大ヒット作品が生まれていた。さらに、一般的傾向として晩婚化・少子化しており、そのすべてがBLファンであるとは限らないのは一目瞭然。

じつは、あくまで(M事件をきっかけに同人誌即売会が注目されたことを受けて)特殊な同人誌を即買しに来る数万人のお嬢さんを話題にしていたにすぎないのです。

そのことに論者の一部が気づかなかったのです。

実際に即売会に来る少女(18歳以上の大学生を含む)の多くは、流行に飛びつきやすい普通の若い人であって、とくに理由も将来の展望もなかったのです。ともだちに誘われたから来てみた。同じものを買って読んだ以上は話題が合うから卒業するまではその話ばかりしていた。卒業したら行かなくなっちゃった。当たり前のことが起きただけです。

とすると、流行の起点になった、ひじょうに熱心な勧誘者としての「少女」がいたわけで、そういう子は本当に少数派だったのです。

いっぽう、1970年代以来、自らの才能によって「自費出版物を売り切ったら、その利益をまた次の自費出版に注ぎ込む(印税契約などない)」という自転車操業を、苦しいながらも可能にしていた人々が、読者の傾向を見切って戦略的に描く(書く)というのも当然なのです。

そういう人も、実際には少ないのです。おそらく現代に至っても、LGBT総数より少数派です。

けれども、フェミニスト達は、冒頭のようなわけで、いろいろと混同していたので、その少数のセミプロおよびセミプロ志望者を論じそこねたのです。

それでも自転車操業を続けていられる人々は「他人の議論なんか気にしなければいいのよ。論争に巻き込まれてる暇はないわ(原稿描かなきゃ)」と思うことができるんですけれども、売れなくなったという恨みを持っているタイプは(退屈しのぎに誰かしら攻撃してやりたいので)「同人が誤解されてる」という被害者意識を肥大化させてしまうことがあるのです。

【サブカルチャーの時代】

「流行に飛びつくと言っても、二次創作BLを買いに行く女たちは、ほかの女性とは服装がちがうし、アイドルではなくアニメの話ばかりしている」と指摘する人もあるでしょうが、それはそういう流行に飛びついたのであって、飛びつく対象が多様化したというだけです。

どっちの流行に飛びついたからいい・悪いということはありません。多様性の共存とは「どちらをも責めない」ということです。

もともと「サブカル」というのは、学生の多くが純文学やマルクス主義の思想書を読んでいた時代から、トールキン流ファンタジーや、プログレッシヴロックや、新興宗教や、超能力や、UFOを呼ぶ会や、鉄道の写真を撮ることや、女子アイドルの親衛隊……というふうに多様化したのです。

映画も時代劇と戦争映画と家庭映画しかなかったところへ、1960年代からギャング映画や仁侠映画が加わって、それぞれのファンが多少なりとも真似したり、自主制作したりしたのです。

大量の小道具を必要とするギャング映画を自主制作した学生は少なかったかもしれませんが、漫画として描いた人ならいたはずですね。

晩婚化・少子化は、戦後は男女を問わず一般的な現象であって、大学を卒業しても親の戸籍と扶養の下に留まる自称少年少女が余暇時間に何をするか? という新たな課題が発生したのです。

明治の文豪作品や小津映画にあるように卒業と同時にお見合いさせられたのが「メインストリーム」だとすれば、そこから逃避しつつ、あわよくば自立につなげる活動というのは、まさに「サブ」カルチャーであり、女性も文筆活動で自立しようというのも明治時代から可能だったのです。

女は文字を書いたり読んだりしてはいけないと言われたことは、この日本では(少なくとも制度として)ないのです。

その流行の多様化に理由をこじつけようとして失敗したのが1990年代のフェミニズムですが、これは最初から自己弁護の意味合いを持っていたのです。以下次号。

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