「おとなの女にならないこと」と「男になること」は別なのです。

  01, 2017 11:05
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かつて本当に、女性が「硬い」本を読んだり、男性向け映画を観たりすると「珍しい」とか「変わってる」とか「女じゃないだろ」とか言われるという時代があったのです。

それに対して女性のほうで「そうよ、私は女を捨てたのよ」といって、いい気分になることができた時代があったのです。

1990年代に(今で言う)BLを論じた社会学者・評論家たちの頭の中にも、1970年代に流行した「男装の麗人」の印象と、最近は女性の社会進出の勢いがすっかり強くなったという印象があったので、今どきの少女は全員が男になりたがっていると思ったのです。

でも「おとなの女にならないこと」は「男になること」ではないのです。

【女性の社会進出とは】

もともと女性には女性社会があるわけです。姑どうしのご近所ネットワーク、母親どうしのPTAネットワーク、親戚のおばさん同士の仲人ネットワーク。

若い女性はその門下生となって、冠婚葬祭のあいさつや婦徳(または夫の操縦術)を教わるのです。

近所の噂に詳しくなることは「あの家には耳の遠い年寄りがいる」とか「あの家には小さい子がいる」とか知っておいて、災害の時に声をかけるなど、配慮してやれるという意味でもあります。

じゃあ女性の社会進出とは、婦人会に入って老幼のためにボランティア活動することかっていうと、そうじゃないですね。男性だけの職場やスポーツの世界に女性が参入することです。

それは、職場で生み出される製品の消費者や、スポーツの応援者になることではなく、自分自身が営業マンや職人やスポーツ選手や武人になるということです。

それは確かに従来の女性社会から自分を切り離し、男性社会に入って行くことだった。若奥さん候補(=地域のおばさん候補)であることをやめ、男性社会に弟子入りすることだった。すなわち「女を捨てる」ことだったのです。

(捨てたぶんの女の仕事を他の女性にしてもらいたいので「お手伝いさんがほしい」という声も挙がるのです)

その際に、男は「女に分かるもんか」とか「ひっこんでろ」とか言ってはいけない。男は黙ってろというのが女性の弱者特権です。

男は女に「女は黙ってろ」と言ってはいけないが、女は男に「男は黙ってろ」と言っていいのです。逆差別は許されるのです。そうしないと、いつまでたっても女性が自立できないからです。

男性側が、それを「もうそういう時代だから仕方がない」と思って認めた以上、彼らは「これからの女性はなんでも男の真似をしたがるんだ。だから少年漫画を読んだら自分もサッカーやりたいというなら分かる。なでしこみたいに頑張るというなら俺も応援してやる」と言うのです。でも?

女性社会に入って地域の底力になりたいのでもなく、男性社会の門下生になって怒鳴られたり真っ黒に日焼けしたりしながら鍛えてほしいのでもないとすると?

女の子のままがいい、というわけですね。

それは、おとなの女性としての出世(王子様に出会って玉の輿に乗る物語)には憧れないということです。同時におとなの男性としての出世(ビジネスマンやスポーツマンとして競争に勝つ物語)にも憧れないということです。

すると、消去法で残るのは、女性的な男性の物語になります。

彼は母親にはなれない。男性社会の中では「女っぽい、なよなよしている」とバカにされ、ほかの男のおもちゃにされてしまう。だから男としての出世も望めない。

それに少女読者が感情移入するというなら、そういう少女読者は自分の未来が暗黒であることを分かっているのだろう。

うっかり愛してるよと言われて良妻賢母になれば、ていのいい家事奴隷(結婚ってこんなことなの?)。外へ働きに出ても、一握りの条件の良い人々以外は男とおなじようには出世させてもらえない。なにもかも捨てて夜の巷へ飛び出せば、ごく若い間だけ性的な意味で搾取されて捨てられる。

そんな現実から、少女読者は逃避しているのである。少女が「姫」のような男の子の物語に憧れることは、少女に将来の自由と栄光を与えない男性中心社会に対する皮肉である。きれいに話が通ってしまうのです。

だから「40歳すぎても総合職として出世できていない独身のままBLが好き」という人は、現実逃避理論を体現しているだけで、「BLはフェミとは別」と主張する根拠にならないのです。

じつに皮肉なことに、一見するとフェミニズム(=女性の社会進出)の象徴のような出世組こそ「BLはフェミとは別」と言いきる資格を持っているのです。

【プロとフェミは別】

そもそも「男顔負けに創作活動で食って行けて、しかもBLが好き」という人は、すなわちプロBL小説家・漫画家、および「大手」とも称される人気同人ですね。この人たちは、ちゃんと社会進出できているわけです。

そういう人は、1960年代の森茉莉を筆頭に、社会学研究者などがBLに注目するようになるよりも前から、ちゃんと存在し続けていたわけです。

漫画同人は、一般社会には漫画家として名前を知られていませんが、それは(あえて例えると)飲食店・惣菜店・雑貨店などの個人商店を開いている人は全国的には名前が知られていないけれども、ちゃんと地域の常連さんたちから愛されて生活できているのと同じことです。

だから、この人たちは「べつに男性社会に恨みごとを言わなくても、おかげ様で生きて行くことができていますから、フェミっぽい人権運動はしなくていいです」と言うことができるのです。

もし、自分の創作物が「きもち悪いからもう描くな」とか言われたら「いやなら読むな。私の表現の自由を侵害するな」と言い返すわけですけれども、「もっと女性を職場進出させなさい!」という運動については自分自身の切実な問題ではないわけです。

フェミニスト自身は、ようするに男の教授のためにお茶くみとコピー取りばかりさせられている自分が教授になりたかったので、それなりに切実なんですけれども、創作のプロまたは大手同人は、すでに自由業として生きることを認められている。無理に結婚させられようとしているわけでもない。

だから、フェミと一緒になって「少女を結婚させてはいけません! 総合職として雇用しなさい!」という運動には加わる必要がない。たんに後輩に向かって、結婚したくなければしなきゃいいだけのことだし、自分もプロ(または大手同人)になりたいなら頑張りな、と言うだけです。

だからこそ「先輩の真似して同人活動してみたけど大手にはなれなかったし、総合職として雇用してもらえなかったし、家事労働者になるのもいやだ」

という少女が立ちすくんだまま歳を取ってしまい、今ごろになって他人を差別して「負け犬よりマシ」と言ってみたり、「母親のせいだから仕方がない」と言い訳したりするのです。

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