物語消費とデータベース消費を対立させる意味が分からない。

  13, 2017 11:01
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「昔は物語消費が主だったが、いまはデータベース消費」的な。なぜそこで二者択一にする?

電車の時刻表から自分の行きたい場所に関連する数字だけ見つけ出しつつ、旅の楽しみを想像の中で先取りするということは、丘蒸気の昔からありましたよね?

メルカトル図法による地図を眺めて自分の行きたい国への最短ルートを考えるとか。(船かシベリア鉄道か)

そういう知的作業は、なにもグーグルマップの時代になったから始まったことじゃないはずです。

逆にいえば、かつての出版社が「グルメマップ」「おすすめ名所巡りコース」などを提案していたのは、道路地図を再版しているだけでは売上が伸びないし、編集者も暇なので、編集者自身が国土交通省発行的な地図を部分利用していたんですよね?

それが売れなくなったのは何故か? 情報公開されて観光客が自分で編集できるようになったからです。たんに出版社の独占的地位が崩壊しただけです。

ここで「オタク」によるキャラクター消費と短絡させてしまうのは、いかにも日本の社会学者的短絡なのです。

オタクもいろいろなわけですが、漫画またはライトノベルは「模倣しやすい」ことが身上で、たとえば大理石を彫刻したり、顔料を練るところから技法を修得するより、はるかに楽ですね。

だから「萌え」的キャラクターを消費する人の多くは描く人でもあって、その際に、なんだかんだいって自分なりのストーリー性を添付するのです。

それを意図的に繰り返しているのが「同人」ですね。

他人の作品の中から好みの要素だけ抜き出しつつ、その子を主人公にした新たな物語を自ら紡ぐ。

たとえ定型的な「山なし落ちなし」であっても、他人の文章をそっくりコピペってわけには行かないので、なにかしら自分なりのアイディアを投入して、新たな文章(または漫画)を書き上げるわけです。

そして、そのように先行作品の要素を分解・抽出し、さまざまに組み合わせて新作に活かすということは、もう『源氏物語』の昔から(いや白楽天の昔から)行われてきたと言っていいでしょう。

なにもかも「グーグルマップの時代」のせいにするのは、行き過ぎです。

【産業界の要請】

じつは社会学者の研究って、産業界による「次に何を売ったらよいのか?」という要請を(暗黙のうちに)受けているってことがあって「データベース消費型の若者が増えている」とか「データベース消費的な娯楽が人気を集めている」って言い方をするのです。

「そういう人、昔からいるでしょ」という疑問も、「そうじゃない若者も大勢いるよ?」という疑問も受け付けないのです。

つまり「編集者のほうで気を利かせたつもりで名所巡り・グルメマップなどを編集する努力は書籍の売上に結びつかない」とか「レコード会社のほうでコンピレーションアルバムを編集して売り出すよりも、1曲ずつバラ売りして購入者が勝手に順番を入れ替えることができるほうが喜ばれる」とか、そういうアドヴァイスを産業界が欲していることと、すでにそういう結果が出ていることを社会学者が利用することがループしているのです。。

でも、それは「定食よりアラカルト」とか「セルフサービスのカフェテリア方式」とか「バイキング形式」ってことであって、その利用者一人一人が自分なりの定食を構成する能力を失ったわけではないですよね?

学説の鋳型に現象を押し込んで、はみ出た部分は切り捨てる。アップルパイなら美味しいですけれども。

ここで「私の物語消費が無視されたわ! 弱者の声を挙げて行かなければならないわ!」と興奮する必要はないです。

これは、データベース型と物語消費型を二項対立に落とすのが趣味な研究者に対して、冷戦時代の遺物的な古い「パラダイム」によって自縄自縛に陥ってはいけませんよという、軽い注意です。

【日本の社会学者はオタクをつかみそこねている】

おそらく彼らが海外留学してまで修得して来た社会学理論によっては「日本のサブカル」を分析できないのです。

日本の社会学者は歴史的視野と古典の素養に欠けていることがあって、本朝では前近代から出版業が盛んであり「仮名草紙の挿画が先行する絵巻物の一部によく似ている」という現象があったことを知らないのです。

当時の人だって丸ごと真似すれば「真似すんな」って言われますから複数の作品を参考にして、ちょっとずつ真似するのです。つまり「つまみ食い」するのです。文芸のほうでも、上記のように『源氏物語』の同時代には、すでに似たような要素を含む「なになに物語」が登場しましたね。

また芝居の有名な台詞だけを観客が真似するということはよくあったはずですし、明治以降はチャリネや映画の宣伝チラシなどから写真を切り抜いてスクラップするという趣味が成立したはずです。

だからといって名優の私生活まで知りたがるとは限らない。「そういうのはミーちゃんハーちゃんのやることで、俺は新作映画が公開されたら観に行くだけだよ」という御仁は必ずいたはずです。

さらにいえば、オートバイなどのカスタムをする人が、その創業者の伝記まで読んでみるとは限りませんね。

そういう、男性における即物性と申しますか、自分の眼に見えるものしか信じない傾向というのは、なにもオタクの時代になったから始まったわけでも、グーグルマップの時代になったから始まったわけでもありません。

なにが悲しゅうて、全世界的に利用されているグーグルマップと日本のオタク文化を短絡させて「昔の俺たちは哲学書を読んでは大所高所から新世界を夢想したもんだが、今の若い奴らはまるで動物だ」と、暴論をでっち上げにゃならんのか。

社会学者自身の縄張り意識を精神分析してみたいもんです。

(参考:松岡慧祐『グーグルマップの社会学』)

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