インプットとアウトプットを混同しては、いけません。

  13, 2017 11:02
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松岡慧祐『グーグルマップの社会学』批評、その2。

書籍を読みふける人というのは、はたから見ると、ライオンがシマウマの腹に鼻面を突っ込んでいる姿に喩えることができます。

婦人の眼から見れば「またお父さんは本ばかり読んで暇つぶしばかりして。少しは家の仕事を手伝ってくださいよ。子どもの宿題を見てやってくださいよ」って言うかもしれませんね?

お父さんのほうは「俺はいま大事な仕事をしてるんだ。この本に書いてあることを消化して、ほかの本に書いてあったことと組み合わせて、新作を書くんだから」って言うでしょう。新作は、小説でも評論でもいいです。

松岡は、自分が情報摂取する時の姿は棚にあげて、スマホを操作する若者だけを「動物的」と言うのです。つまり、アンフェアな勝負をしているのです。

脊髄反射的・動物的発想になってしまっているのは誰だ?

本来は、情報摂取の段階では、どちらも動物的なのです。情報をむさぼり食ってるわけですから。

けれども、その情報を基に、自分なりの新作を生み出そうとして苦闘するとき、その人は高度な知的作業を敢行していると言うことができます。

が、マップに表示されたルートに従って移動してみただけとか、店に入って食ってみただけというのは、知的とは言えないというわけです。

つまり、情報をむさぼり食うのは昔から多くの人がして来たことです。そっから先で話が分かれるのです。

すなわち、アナログ時代の俺たちはアウトプットしたからいいけれども、今の若い奴らはアウトプットしないからいかん。これが本来です。

けれども、実際に行ってみた人は、マップからは得られなかった感動を得るはずです。天気がよかった、紅葉がきれいだった、手打ち蕎麦の香りを初めて知った、いい人に出会った……

それをアウトプットするとは限りません。とくに「恋人できた」というのは、SNSに流さないほうがいいです。

この、アナログ世代から電化製品(を使いこなす若者)に対する反感というのは、それもまた昔からあることなのです。

テレビの普及期には「一億総白痴化」と言った人がいたらしいですが、それを言っている自分は知的なつもりですよね。じゃあ、あなたは一億の内に含まれないんですか? あなた日本人じゃないんですか? っていうね。

日本の社会学者は、もうちょっと、自分自身を反省しましょう。


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