リビドー段階的発達論は、時代遅れです。

  14, 2017 11:02
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フロイトは、ダーウィンやマルクスと同時代の人だったので「だんだん自然淘汰されて必要なものだけが残る」という進化論から自由でなかったのです。

でも、事実として多くの人が、口唇の快感も肛門の快感も認めつつ、性器にも興味あるし、そうかといってそれだけ考えて生きてるわけでもない、という複雑さの中にいるというのが本当のはずです。

その混沌の中から「いま」自分に必要なことは何か、その課題だけは見失っちゃいかんよ、というのがアドラーですね。

べつに口唇が最大の性感帯でも、尻が好きでもいいけれども、「いま」それじゃないだろ? っていうね。

「私はリビドーが口唇期に固着しているから異性に噛みつくのは仕方がないの」と面白半分に言い訳する人もいるけれども(いるんですよ)、いまそれじゃないだろ? っていうね。

べつに口唇が最大の性感帯でもいいけれども、他人に迷惑かけちゃダメだろ? 噛みついて怪我させた時は、ちゃんと「ごめんなさい」って言うのが課題だろ?

また「ごめん」って言えばいいってもんでもないよな? 再発防止のために「もうしない」と自分に約束するとか、やっちまいそうになったら何かの言葉を唱えるとか、いろいろと工夫して、社会に適応する努力が必要だろ?

ってことなのです。

フロイトは、あくまで医師だったので、強迫神経症の治療を心がけていたのです。トラウマ理論が犯罪者の言い訳として利用されることは彼の本意ではないのです。

彼の言う性欲ってのも(思うに)他者との関係を求める精神のことであって、気に入った相手をつかまえて一発やれば清々したとか、そういう意味における性欲ではないのです。

「私は女だから、男性を背後から犯すことはできないから、噛みついてもいいでしょ? だって口唇期なんですもの。私だって清々したいわ」って、それじゃただの性暴力です。

フロイトはそういうことを許可したんじゃないです。

彼が性欲という概念を持ち出したのは、それを口にすることさえはばかられるというヴィクトリアン・エイジにあって、タブーを設けずに議論することを欲したからです。

その目的は、あくまで「鬱屈した性欲が問題を引き起こしているので、その問題を解決する」こと、すなわち病気を治して患者も家族も幸せにしてやることです。

「リビドーがトラウマになってるから、仕方ないよね~~w」じゃ、ないのです。

フロイトは、決して「あんたの場合、トラウマがあるんだから諦めな」と言ったんじゃないのです。

「あれがトラウマになっている」と名指すことができたら、次はそのトラウマがあっても気にせずに生きていけるように努力する段階に入るのです。

もう羽布団を整えることに時間をかける意味がないことが分かったし、その儀式をしなかったからといって悪い将来が来るわけでもないことも分かった。それでも動悸がするというなら、今では良いお薬もありますよって話です。

だから「トラウマがある」という人ほど努力が必要です。少なくとも受診の段取りを自分でつけることが必要です。

「お母さんがいないと分かんな~~い」と言ってる時点で、もう「トラウマにとらわれていたい」のが本音だということが分かりますね?

【ゲイとリビドー段階説】

少なくとも「多様性の尊重を求めて同性愛者と弱者の連帯する」と言う人が、いらないものは淘汰されるという段階的発達論を奉じているのは矛盾です。

それではゲイたちは「親の育て方が悪かったので、リビドーが口唇または肛門期に固着したまま進化できなかった負け犬」という話になってしまいます。

ということは、催眠術でも受けさせて、低レベルに留まっているリビドーを解放してやれば「ホモが治る」という話になってしまいます。いや治せるもんなら治したいが、無理なことは分かっているし、保護という名目で逮捕されるのは困るってのが彼らです。

したがって、誰よりもリビドー固着説をきらうのは、ゲイです。

だから「私には母親のトラウマがあるんですからね! 配慮しなさいよ!」と恐喝まがいのことを言って、えらそうにしていた人が、急に「母親のトラウマを自分で克服した!」と言い出した時は、ゲイの世界で遊んでいる間に「やばい」と気づいたのです。


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