プロ作家は自分と二次創作BL同人を区別していたのです。~トランスゲイ説の真実

  20, 2017 11:05
  •  -
  •  -
栗本薫や榊原史保美のBL論というのは、20年来プロとしてオリジナル作品を発表することで気を吐いていた人々による自己弁護であって、彼女たちとしては二次創作BL同人の考えてることはよく分かんないのです。

彼女たちは、プロ作家として著作権を重視しており、歴史上の人物でもない限り、他人が考え出した名前をそのまま使わないことをわきまえておりますから、オリジナルと二次創作をきちんと区別できていたのです。

けれども、社会学者・マスメディアは区別ができていなかった(両者を同じ隠語で呼ぶことによって混同していた)ので、議論が混乱しました。

だから、榊原による告白本が悲しいとしたら、私のは耽美文学だ・JUNE派だと思ってやって来たのが、いつの間にか「アニパロ」の子たちと混同され、身に覚えのないレッテルを貼られ、自分も自虐していたことにされていたという、その誤解と偏見と差別が強まったことそのものが悲しかったからです。

だからこそ、彼女たちJUNE派による解説書というのは「私は確かに母親と葛藤しながらも、BLという武器によって自立を果たしたけれども、あのプロになる気のない少女たちは異常です」という論調なのです。

その異端視を、逆にプロに適用してしまうと「プロも自虐していた」になってしまうのですが、これはプロにとって許しがたい誤解なのです。

【フィールドワークの怠慢】

このさい何度でも言いますが、プロが自虐したことはありません。

プロが出版社を通じて(今でいう)BL作品を発表する際に、出版社が分類のために使用した用語は、1960年代から一貫して「耽美文学」です。

単行本の帯には耽美時代劇とか耽美SFという文字が印刷されていたのです。にもかかわらず、1998年に榊原による解説書を発行した夏目書房だけが、やらかしてくれたのです。

「耽美文学」では谷崎潤一郎などの男性作品と区別できないので、1980年代からは女流を「やおい」と呼び分けることにしたんだと言う人もあるかもしれませんが、そこから逆算して「1970年代のプロも自虐していた」というのは成り立ちません。冤罪です。刑法さえ不遡及だってのに。

1980年代にも、1990年代にも、2000年代になっても、2010年代になっても、プロおよび出版社が自虐したことはありません。お客様に向かって「下手だから買わなくていいですw」と言うくらいなら出版しなきゃいいのです。

二次創作同人だけが自虐したのは、まさに公言しにくい事情があったからです。逆にいえばそれだけです。結婚したくなかったからではありません。同人どうしの婚活だって行われているのです。

1998年なら、すでに市販品としては「ボーイズラブ」という呼称が普及していたので、榊原の解説書の表題については「今さら古い言葉を持ち出して、なに言ってんだ」という驚きでしかないのです。

せめて『ボーイズラブの系譜』とか『耽美の構造』とかにしときゃ良かったのです。

これに社会学者が気づかなかったなら、フィールドワークの怠慢です。

フランス思想を紹介しただけの人を最高の社会学者としてもてはやしちゃう日本の学界とマスメディアのあり方を反省しましょう。

【「トランスゲイがカミングアウトできないのは重大な人権問題だ」が、正しい反応】

ミステリー作家やチャンバラ時代劇の脚本家が「なぜ人殺しばかり書くのか?」と質問されることはないように、創作家が制作動機を開示する義務はありません。

もし、自作を出版社を通じて堂々と市販するに当たって自虐したことなど一度もない『JUNE』作家が、いわれのない偏見に対抗するために制作動機を開示する必要を感じ、じつは特殊な性別自認であると告白した場合、「それじゃあ差別されちゃうのは当たり前だから悲しいね~~」で終わりにしてはいけないはずです。

「トランスゲイを隠す必要はありません。私たち一般社会はトランスゲイを差別しないことをお約束いたします。いままであなたに無用なプレッシャーを与えていたことをお詫び申し上げます」が正解です。

【「やおい論」が明らかにしたもの】

1990年代のBL論が明らかにしたものは、論者自身の差別意識。

さんざんマルクス主義で鍛えたはずの日本の知識階級・文化人が自己批判できないこと。海外の学説を繰り返すことばかり熱心で、日本社会という足元を見ておらず、研究に対して怠慢であり、無責任であること。

いわゆるマジョリティの横暴そのものだったのです。

Related Entries