攻撃的SNS発言をやめたい時は、言い訳をやめればいいです。

  22, 2017 11:05
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「1980年代ふう過激BLにはついて行けない」というのは、高い確率で、1990年代以降に思春期を迎えて、BLを購読するようになった人による発言です。

低い確率で、1970年代以前を知っている世代が、1980年代の間に変化が生じてしまったことを嘆く発言。

いずれにしても「ついて行きたいのでよろしくご指導お願いします」という意味ではありませんね。もうたくさんだ、引っ込んでてくれ……という苦情です。

とくに1990年代組は、当人たちが本当に若く、発言の場もなかった頃には黙っていたのが、三十歳前後に達して社会人として自信をつけ、インターネットの普及によって発言の場も得ると、少しずつ「声を挙げる」ようになったのです。

そのようなBLの多様化を求める声を、自分自身が「性的マイノリティだから弱者の声を挙げて行く」と言っている人が認めることができないのでは困るのです。

【嫌儲型と即売型を混同しないほうがいいです】

「無機物を擬人化し、永遠に手の届かない恋心を心理描写する」という表現をインターネット上で読んだ人は、わりとかんたんに「私も書いてみよう」と思うことができますね。

無機物の擬人化であれば、他人が創出したキャラクターの使用権という問題は発生しないし、心理描写だから公序良俗意識との葛藤も低い。「書いて、発表する」という一連の行動が自然です。

それが高評価(ウェブ拍手など)を得ているのを見た人は「擬人化というのが流行っているのか」と思って、市販雑誌上で特集を組んだり、ビデオゲームの設計に活かしたりする。

それが人気を得れば、アニメ映画化や、関連商品の生産が始まって、サブカル市場全体が活性化する。げんに、そういうことは起きていますね。

そういう「嫌儲型インターネット活動に特徴的な心理描写重視・純愛路線の一般利用の可能性」って話に対して、即売型同人さんがわざわざ飛び出してきて「そんなもの売れないよ! 私たち同人は最初から金目でエロばかり書いてるんだよ!」って言う必要ないですな。

「じゃあ私も」というライバルが増えて、ブース割当抽選が厳しくなるから、自分自身が出展できなくなるだけです。いったいなんの話だと思っているのか。

「嫌儲型・純愛路線を推す人がいると、即売型・過激路線が規制される」という二者択一の発想をしてしまう人が、あわててしまうのです。

【怒りの感情を捏造する人には劣等感がある】

一般論として、怒りの感情を捏造する人には「優越感を感じたい」という隠し持った目的があります。

そして優越感を感じたい人には、劣等感があります。

「あんたみたいなエロ反対派がいるから私の同人誌が売れなくなったのよ!」と、わざわざ過去を思い出して怒りの感情を捏造してしまう人には、現役に対する劣等感があります。

事実として、M事件があろうが、コミック有害図書指定運動があろうが、バブルが崩壊しようが、リーマンショックが起きようが、出展を続け、人気を維持している同人が大勢いるのです。もちろんプロもいます。

2010年代に至って一部自治体で年齢制限されるまで、ほんとうにBLは法令的には野放しだったので、事件による規制のせいで売れなくなったということはないのです。

最初から黙ってりゃ「人気をなくしたことがバレて恥をかく」ってこともないのに、わざわざ顔を出して、わざわざ責任転嫁する人には、それを言えば同情してもらえるという計算があるのです。

【ほんとうに可哀想なのは次世代の成長を喜べないこと】

げんに「1980年代ふうにはついて行けない」という声があるのです。げんに「せっかく書いたのに山も落ちもないなんて言われたくない」という声があるのです。

価値観の違う世代が育ったのです。はっきりと声を挙げるようになったのです。

それを認めることができずに「でも私が同人やっていた頃は」という昔話に逃避してしまうことこそ可哀想なのです。

結婚しなかったことなんて、単なる自己責任ですから可哀想じゃありません。

憲法に保障された権利を行使して、誰にも束縛されない人生を選んだのだから、あの世に旅立つ時も独りで旅立てばいいです。満願成就で結構なことです。

どのみち多くの女性が配偶者よりも長生きで、孤独な老後を過ごすのです。最期の息を引き取る時は、誰だって独りです。

でも「後に続くを信ず」ることができないのは可哀想です。実の子を持たないなら尚のこと、次世代育成に努力を傾注すべきです。

保育士でも教員でもお稽古事の先生でもいいです。同人活動のお手本になってもいいです。

でも自分が歳を取ったことを認めたくない。歳を取ったなりの実績を誇ることができない。

競争意識だけは旺盛なくせに、自分自身の努力不足を認めずに、他人や母親に責任転嫁し、まだ少女だと言い張る。それが「可哀想なんて言われたくない」といっても説得力はないです。

【過剰防衛をやめましょう】

「あんたみたいな男がいるから私が二次創作BL同人の道に入る他なかったのよ。だから普通の就職できなかったのよ。私が無能だからってわけじゃないのよ」

と言い訳したいもんだから、男性に厭味を言うのです。

「母親が厳しかったせいで異性に噛みつくしか愛情表現方法を知らないから結婚してくれる男がいないのよ。私に魅力がないからってわけじゃないのよ」

と言い訳したいもんだから、傷害罪を自白するのです。

「あんたみたいな『エロは要らない』なんていう表現規制派がいるから私の同人誌が売れなくなったのよ。私の才能不足だったってわけじゃないのよ」

と言い訳したいもんだから、若い同人・BLファンの多様化を応援しましょうという話を勘違いして、独りで怒ってる変な人になってしまうのです。

「あんな男がいなければ、あんな母親がいなければ、あんな事件がなければ、私は有能であり価値があるのだ、ほんとうの私はモテモテでイケイケの壁サークルなのだ」

という劣等コンプレックスが、形を変えて何度も現れているのです。

だから、そういう言い訳をやめりゃいいのです。

言い訳したい気持ちの裏にあるのは劣等感と被害妄想です。「笑いものにされる」とか「叱られる」とか思って、おびえているから先手を取って言い訳しようとして、墓穴を深めるのです。

もしも本当に攻撃的な性格を直したいとか、余計なことを言ってしまう癖を直したいとか思うなら、「攻撃は最大の防御だ」という意識が無駄な攻撃の根拠ですから、防御をやめりゃいいのです。両手ぶらり戦法。

【自分のライフスタイルの問題】

弱い犬ほどよく吠えるんですが、ビクビクしながら暮らしている人の心の裏にあるのは、他人から注目されたい心です。逆にいえば「現時点で誰からも注目されていない」という劣等感です。

でも本当は「誰からも注目されてないから生きてない」とか「生きる価値がない」ってことはないので、本人が注目されることに最大の価値を置いてしまっているだけなのです。

本人の価値観の問題。つまりライフスタイル。イケてるかイケてないか、乗ってるか乗ってないか、つねに自他を比較し、自分を採点しているのです。

で、負けていると思うと「笑われる」とか「叱られる」とか思って、あわててしまうのです。

確かに、笑われたり叱られたりすることの多い前半生だったことが想定されるので、哀れといえば哀れなんですが、そういう過去の記憶にいつまでもこだわっていること自体は本人の選択であり、自己責任です。

【若いふりをする人は若い人を差別している】

若く見られたいと思って、わざと不適切行動を取る人は、若い人を差別しているのです。

「ふつう若い人って頭悪いじゃないですか。態度悪いじゃないですか」と本人が思っているのです。

それは、実際には自分自身が若い頃そうだったというに過ぎません。

若い頃、自分と似たようなタイプとばかり付き合って「私たちのほうが売れている」とか「私たちのほうが進んでる」とか言って他人を笑いものにしていた人は、逆に自分が笑われるという被害妄想も強いのです。

自分自身を基準に、現代の若い人に偏見を持っており、若い人はみんな私と同じに決まってるから、私と同じように過激な同人誌しか読みたくないに決まってると決めてしまう。それのどこがマイノリティなのか。どこが弱者なのか。

ほんとうは「私もまだ若い」と言いたいだけです。歳を取ったなりの実績がないことに劣等感を感じているだけです。同人の世界で頑張りきれなかったので責任転嫁したいだけです。

優越感に浸っていた人が挫折を感じると「劣等感の世界で優越感に浸る」という、いちばん可哀想な人ごっこをしてしまうだけで、実際に弱者として他を思いやる・いたわるということはできないままということが、あり得るのです。

本人が、やたらと自己アピールしたがるなら、もう反面教師として利用してやる他ないのです。若い人は、同人やってもいいですが、こんなおとなになってしまってはいけません。

フェミニストも、よく見ておくといいです。これが「山も落ちもない」同人の成れの果てです。あなたたちが一生懸命弁護した「少女」の末路です。

(参考:『嫌われる勇気』ダイヤモンド社、p.84)

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