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耽美の系譜。~1960年代

森茉莉による1962年度「田村俊子賞」受賞作を含む単行本は、1961年9月に新潮社から刊行され、1970年代半ばにかけてほぼ毎年増刷されました。

1963年以降には続篇というべき単行本の発刊もありました。

したがって、相当の人数の読者に行き渡り、模倣的・二次的な自主制作の流行を生んでいた可能性が高いです。

この場合の「二次的」というのは、後の時代の「二次創作」のようにもともと関係ない人々を組み合わせてしまうのではなく、もともと原作中で交際している人々の生い立ちなどを読者なりにふくらませて書いたもの。

そういうことは、文学が映画化される際にも必ず起こることですから「考えて悪い」ということはありませんね。

そのような肉筆原稿が数人の同好者の間で回覧されているだけであれば、出版社・著作権者としても認識のしようもなく、著作権法が家庭内視聴にかぎってビデオ録画を保障しているのと同様で、差し止めるまでもありません。

いっぽう、模倣的なオリジナル作品は新潮社への投稿がなされたはずですが、この時点で専門誌や文庫の創刊には至らなかったところを見ると、二番煎じに過ぎなかったのでしょう。

茉莉という人は、1961年の時点で50歳代に達していた人で、戦前の教育を受けており、フランス語の翻訳もできたので、外来語を常用外漢字で書いたり、小説本文中に横文字を用いたり、日本人には耳慣れないフランス語をカタカナ表記したりすることも自然だったのです。

が、戦後生まれの若い女性がそれを試みた場合、あきらかに模倣です。

茉莉の同時代には三島由紀夫・澁澤龍彦・谷崎潤一郎がいて、その背後には茉莉の父親をふくむ綺羅星のごとき明治・大正文豪たちが控えています。

もとを正せば18世紀のウォルポールが創始した「ゴシック・ロマン」にまでさかのぼる「耽美文学」の系譜は、茉莉を中継点として、昭和後半の若き女流文芸同人に受け継がれたのです。

だもんだから、それが1970年代半ばに至ってアニメの流行とミックスしてしまった後も、こむずかしい漢字を使ったり、象徴主義的な比喩表現を用いたりする伝統となって残ったのです。

【物語の背景の変化】

茉莉作品は、物語の舞台となる年代が明確でなく、昭和三十年代当時と見ることもできるけれども、華族年金を利用することのできた戦前の富裕な暮らしぶりと見ることもできます。

茉莉はフランス映画が好きな人でしたが、1950・60年代フランス映画には、まだ若い未亡人がお城に住んでいるという設定が多かったもので、そういう外国の富豪の暮らしぶりへの憧れと、戦前の生活へのノスタルジーを帯びているのです。

逆にいえば、1960年代当時の日本社会の現実からは遊離しているのです。

主要登場人物は大学の助教授という設定で、若者のほうは実家がはっきりしない不良ですが、本文中には学生運動もオートバイマニアもテレビも登場しませんね。

これが、そのまま1970年代の二十四年組などによる「戦前の外国のお城で美青年と美少年が」という漫画作品に結実するのです。

で、その二十四年組などによる傑作群が出そろって、そろそろ食傷して来たぞという1980年頃から、急速に「アニパロ」が伸びて来たというのが実感だと思います。

二十四年組作品そのものを明確にパロディにした『パタリロ!』(魔夜峰央)が1978年に連載を開始しているのが象徴的で、あの時点で『ポーの一族』や『風と木の詩』は歴史になったのです。

で、いわば「ポスト耽美」制作にあたって、まだ自分自身が学生・生徒であって、実社会の様子を知らない若い女性たちは、おもにテレビ番組を参考にして、外国のお城以外の場所を舞台に選んだり、詩人や大学助教授以外の職業の男性を登場させたりしたのです。

その際に、テレビ番組から得た情報を「あくまで参考」として、オリジナルキャラクターを創出するってことをしておけば、著作権上無問題だったのです。出版社に投稿し、プロデビューということにもつながったのです。

けれども「べつにプロにならなくてもいいから。どうせ遊びだから」と言いながらそのまま書いちゃうという、流儀ともいえない流儀のようなものが確立しちゃったですね。

少女であれば、保護者によって衣食住を保障されておりますから「ほんとうにこれだけで食っていけるのか」などと考える必要がなかったのです。面白いから、ウケるから、お友達が「もっと書いて」と言うから……

それは、ちょうど文化祭のバザーとか、そんな感じだったのです。おカネが介在しているにもかかわらず、それによって「口を糊する」という深刻さがない。だから本気で訴えられると思っていないし、学校を卒業したら自然に辞めるというつもり。

素人の時代。物まねの時代。手作りの衣装で踊る若者たち。車検を気にせず、排気筒を奇妙な角度で立ち上げた車輌。まがりなりにもクラシック音楽を踏襲したハードロックよりも、もっと破壊的な音楽。

中学生同人による「アニパロ」は、そのような昭和五十年代後半文化の象徴の一つだったと言えるでしょう。

昭和五十五年が1980年ですから、昭和五十年代後半文化とは、すなわち「1980年代ふう」なのです。

【1970年代ふうとの混同】

初期のBL専門誌『JUNE』というのは、1978年創刊で、事実として「アニパロ」の流行と並行して成長したんですが、読者投稿型ではなく、プロ作家・漫画家を起用した市販雑誌だったので、1960年代における耽美文学の流行を実体験しながら成長した有名プロ(=栗本薫・竹宮恵子)が手綱を執ることになったのです。

したがって、読み応えのある長篇としての耽美文学性を維持したから、1980年代以降の研究者・マスメディアが混乱したのです。

ちゃんと読めば、プロとパロの作風の違いが分かるんですけれども、もともと「男同士の話なんて読みたくもない」と思っている人々が無理して論じようとするもんですから「若い女性の間で変なものが流行ってるらしい」という伝聞だけで話を進めちゃったのです。

やれやれ。

栗本(=中島梓)が1984年に竹宮恵子による表紙画つきで上梓した解説書は、この1960年代から続いていた女流耽美主義の最後を飾るとも言うべきプライド宣言であって、この時点で栗本・竹宮いずれの脳裏にも「私たちは『やおい』である」という意識はなかったはずです。

深く首肯するオールドファンが百万人くらいは存在することを疑いません。

この作風の違いは、アニパロ同人から栗本に対する対抗意識となって、今に至るまで禍根となっちゃうこともあります。

(他人の創出キャラクターに依存している立場で競争意識を持たなきゃいいだけなんですがね)

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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験・就活を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

映画評は、アップロードする以上は「下げる」ようなことは言わないことにしております。あらすじもあまり申し上げませんので、楽しみに御覧になってください。記事冒頭の色つき文字は映画中の台詞・挿入歌の歌詞からの引用です。

なお、取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・分割・削除しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。