1953年11月、小津安二郎『東京物語』松竹

  26, 2017 11:03
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一日一日が、なにごともなく過ぎていくのが、とっても寂しいんです。

脚本:野田高梧・小津安二郎 製作:山本武 撮影:厚田雄春 美術:濱田辰雄 録音:妹尾芳三郎 照明:高下逸男 音楽:斉藤高順 監督助手:山本浩三 撮影助手:川又昂 

昭和二十八年度芸術祭参加作品。見よや人々。この東京の復興を。

と言いながら尾道へ行きたくなる映画。むしろ小津作品の中では例外的に完成度が高いというべき作品ではないかと思われます。

他作品における、淡島千景を中心とする女同士の掛け合い漫才や、カラー時代のオヤジ三人組などは、面白いけれども物語全体からは浮いてるわけですが、そういうシーンがないのです。

じゃ何があるかというと、やや皮肉な展開が予想通りに続くことによる物語の流れの美しさなのです。いわゆるフラグが立っている。そして『晩春』へ戻る。

重要なのは、誰もが真面目に生きていることで、皮肉だけれども後味が良いのです。例外的なほど後味が良い。不倫する人妻もいないし、「いや」しか言わない小娘もいない。誰もが真面目に生きているからこそ忙しいのです。だから、確かに「幸せなほう」なのです。

東京は、基本的に江戸時代と変わってないわけで、本来が独身者の町なのです。店構えがあって、客から見えるところに生活空間があって、その上にかろうじて二階が乗っかっている。なにしろ狭い。

対するに、かつて大勢の子どもが走り回っていたであろう尾道の屋敷の現在の空漠感が家族の崩壊を象徴するわけですけれども、アクセントをつけているのが原節子。

「子どもってそういうものよ」と悟りすましたようなことをいう紀子ですが、じつは自分の子どもはいないのです。自分の実家へ帰る様子もないのです。

大家族の中に舞い降りてきた天女のような不思議な存在感。でも、その違和感が最後の独白を導く伏線なのです。

長男が「ただの町医者」だけれども見立ては確かだったというのも小さな皮肉ですが、それによって彼がちゃんとやっている・独立できていることが示されるのです。

他作品だと「そこはそれでいいのか、ヒロイン」と言いたくなるような急展開がありますけれども、これは(もう一回言いますが)たいへん流れがきれいなのです。

という具合ですから、看板にはじゃっかんの偽りありなわけですが、こういう二部構成はどっかで観たぞと思ったら黒澤『生きる』でした。

いくらかコメディタッチに始まって、後半で登場人物の心理の核心が吐露されるのは能楽の構成でもありますが、小津さんは東京の木場の若旦那だったそうで、京都の人ではないのでした。

だからこそ、あの東京の文化住宅のせせこましい内部が面白く見える角度を知っており、同時に、自然の残る地方ロケが遠い憧れの情緒をともなっているのでしょう。

会話を編集するのはいつものことですが、切り替えのタイミングがよく、円熟味を感じさせます。写真芸術のような静止画的風景カットも充分に意味を持っております。

ときどきその静物趣味がアブストラクトに感じられちゃう小津作品ですが、ここではそれがないです。きれいに物語の枠に収まっております。

なお、孝順音楽も控えめにいい仕事します。どうしてこれを続けられなかった。

……いや、次回作(『早春』)まで3年の空白があるところを見ると、いったん終わった気持ちになったのかもしれません。

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