1980年代の同人と読者の成長という要素を忘れてはいけません。

  27, 2017 11:01
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若い頃にはアクションと美女に夢中になっていた映画監督たちも、歳を取ると日本の風物に焦点を定め、農業・漁業・林業に従事する人々や、伝統芸能・伝統工芸に従事する人々や、助け合って生きる老幼を映し出すようになる、ということがあります。

そこまで映画監督として活躍し続けられる人は恵まれた少数ですけれども。

彼らは、まるで自分の最期を記録するかのように老齢の俳優を起用し、その臨終を描き出すものです。息子のかたき討ちと老いらくの恋では、だいぶ社会的意義がちがうようですけれども、映画のテーマとしては同じです。ある男性の最後の執念。いかに生き、いかに死んだか。

こっから例によってBLの話になってしまうんですけれども、かつて「少女向けのエロ」とうそぶいて、アニパロとか称するものに夢中になっていた読者も歳をとって、中年男性キャラクターに感情移入できるようになった。

彼が生涯の(同性の)伴侶を見つけ、互いの老親を気づかいながら暮らす姿は他人事とは思えない。読者自身がそれぞれの職場で後輩を指導したり、さまざまなお客様に出会ったりすることによって、独身であっても社会的に成長し、おとなになったのです。

だから、BLはポルノだと思われたくない。BLを通じて人生を・社会を考えるということがあってもいいじゃないか。そういうことがある。

いっぽう、バブル崩壊後に成長した世代にとって、バブル同人の武勇伝に対して独自の価値観を主張することは重要な自尊感情の表現です。だから「1980年代ふうにはついて行けない」という声があるのです。

もう、1980年代の思い出話をして「エロさえ書けば売れる」といって笑うことができる時代ではないのです。

事実として、バブル崩壊前後の激動を乗り越えて出展を続ける同人たちは画力を上げています。文章力も構成力も上げています。もはや言葉の正しい意味において「山も落ちもない」とは申せません。

それが「市販品よりもエロいという以上の価値はない」わけではないことを、誰よりも読者が知っています。

それを青少年健全育成意識だけで取り締まってはいけない。キャラクター使用だけを基準に取り締まってはいけない。複合的な価値を持つものを、一つの基準だけによって斬り倒してはいけない。国家にそれほどの権力を与えてはいけない。最後はここへ落ちてきます。

現象は、つねに多義的です。子どもだましな「アニパロ」の話題だから国家論にはふさわしくないとは言えません。最も卑近な同人漫画の話題でありつつ、民主主義の根幹にかかわるということがあり得るのです。

もともと民主主義ってそういうものですしね。庶民の声を為政者に届けようっていう。

だからこそ「庶民どうしで話し合う時点で大炎上」ということも起きるわけで、同人はつねに二面作戦です。あんまり単純に「金目といえば許される」とか思うもんではありません。


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