常識の成立の歴史を問うことのできない性的マイノリティじゃ困る。

  29, 2017 11:03
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私の記憶が確かならば、誰かが1980年代前半に『新撰組血風録』って言っていたなぁ……。(ふと思い出しました)

大島渚映画『御法度』の原作を含む小説集ですね。二次創作BLに入る前に「その道」の要素がある文芸作品を探して読んでみるという時代があったのです。

その背景には1970年代初頭の映画版公開以来『ベニスに死す』の原作を読んでみたとか、オスカー・ワイルドも読んでみたとか、それで初めて外国文学も読んだし時代劇小説も読んだという若い女性が大勢いたのだろう……という、近代文学史の隅っこの一場面が想定されますね。

それが専門誌『JUNE』への投稿小説として結実し、今なお文庫化・アニメ化などによって印税を発生させ続けているのです。

こういう話を聞いていられなくて「私は文学なんか読んだことないよ! 漫画を読んでエロ小説を書いただけだよ!」と変な自慢されても困るです。(´・ω・`)

同人誌って言葉が、もともとは本当に同人会の会報(複数作者による合同誌)だったことも知らないらしいし。「よろず」の時代も「イバラ」という言葉も知らないらしいし。

1985年以降のことしか知らない「にわかイナゴ」ちゃん。

それが学歴の低い人で、調べものするより体を動かしてるほうが好きだとか、手に職がついているというなら分かるのです。スポーツの技術や、乗り物の整備ならすごく詳しい。頭を使うところが違うというタイプ。

でも、そういう人は「同人やっていた」とも言わないでしょう。

「私の同人誌を読んでみない?」と言われて「読んでみるよ」と答える人は、もともと読んだり書いたりすることが好きな人です。このくらい簡単、すぐ真似して書けると思ったから出展したのです。学業成績もいい。大学進学した。

それが「発展の歴史をあとづける」という話にまったくついてこられないというのは不思議なのです。

【自分を疑う習慣がない】

なぜ自分は「こうしなければならない」と思い込んでいるのか? ほんとうに昔からこの形だったのか? 昔とはどのくらい昔か? いつ誰によって始められたのか?

自分を疑い、先入観の成り立ちを探り、常識を問い直すということに挑戦して行かなければ、卒論も書けないと思うのです。テーマを見つけられませんからね。いったい大学で何をしていたのか。

他人が書いた同人誌を読んで「これでいいんだ。このくらいなら簡単」と思ってしまった。その先入観を疑ってみることなく、その当時いちばん人気だったアニメをネタにしていた。

だから、それが放映を終了したとき、自分で新しいジャンルを決めることができずに淘汰されたのです。

同人として生きて行くということは、起業することと同じです。誰にも頼らず独立するということです。二次創作のジャンルを含めて創作テーマを自分で探し、相応の収入があれば確定申告するということです。

「みんなやってる」という学生気分では、一生やって行くことはできないのです。もともと、同人やってはいけない人だったのです。

【詐称性的マイノリティ】

同人やってはいけなかった人が、急に「性的マイノリティ」を自称しても、まず誰よりも自分自身が「自分の中にある先入観を疑ってみることができない」というマジョリティ意識のかたまりのままなのです。

それは、悩みに悩んで、何冊も本を読んで、考えに考えて、親を泣かせる覚悟で、友達を失う覚悟で、清水の舞台から飛ぶ思いでカミングアウトしたという本当の性的マイノリティではないからです。

二次創作BL同人活動に失敗して、不本意な就職したことを「母親のトラウマ」のせいにしておけば言い訳になるし、同情してもらえるし、ゲイバーで遊ぶ口実にもなるから都合がいいわという計算ずくなのです。

自分の精神において、認識の枠組みのコペルニクス的転回が起こり、すべての常識をうたがってみるようになったという柔軟さが身についていないのです。

だから、ほんと言うと「自称性的マイノリティ」ではなく「詐称性的マイノリティ」なのです。その実態は、あくまで自分自身の努力不足によって挫折した「もと同人」です。

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