BL論最大の問題。

  07, 2017 11:01
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日本は、有史以来大陸文化の影響下にありました。牽牛織女伝説も、五色の短冊という美意識も、大陸由来のものです。申し上げるまでもありませんね。

黒船が来航してからは、欧米列強に対して「後進国」という位置づけになってしまいました。対抗上、近代化に出遅れた大陸に対して優越感を主張したので、その後がややこしくなっているのです。

その日本が連合国に敗れて、誇りも自信もなくしてしまい、つねに自嘲ぎみになった挙句に、大陸でも欧米でも流行しなかった奇妙な創作物を流行させるようになったのであれば、それにはどんな意味があるのか?

これには歴史学者・経済学者・社会学者・心理学者などが、それぞれの立場から、それぞれの理論を適用することが可能なのです。コテコテのマルクス主義を適用したっていいです。村上隆みたいに「リトルボーイ論」で一席ぶってもいいです。フェミニストがフェミニズム批評を適用するのも当然です。

それは彼(女)らの自由であり、権利です。誰にも「フェミのくせに黙れ」と制止する権利はありません。

したがって、BL論最大の問題は、フェミニストの介入それ自体ではないのです。

同人・BLファンのほうで、口先では「同人とフェミは別」とか「BLはジェンダー論とか関係ない」とか言いながら、「女の子は男性中心社会の被害者なんだから配慮してもらえるのが当たり前ですよ!」という意識をふりかざしちゃう者がいることなのです。

それは「女性とは男性と差別をつけるための文化的規定にすぎない」というジェンダー論を逆手に取った弱者特権意識です。つまり、ジェンダー論そのものです。

つまり、自分で言ってることが分かってないのです。

それが本当に1980年代の中学生なら、流行に乗ってみたかった気持ちも分かる。けれども、それから20年経っても、30年経っても、そのままそれを信じ続けているというのは困るのです。

また、そういう専門用語は一見カッコいいので模倣を生みやすいのです。現代の若い人がだまされてしまうということがあり得る。

もともと学歴が低く、腹の底から「BLはエロいから面白い」と思っている人は、わざわざそんなことも言わないのです。

なまじ大学へ行って「ジェンダー」なんて単語だけ生かじりしてしまった者が、気を利かせたつもりで「BLはジェンダー論じゃないのよ」なんて言うのです。

その舌の根も乾かないうちに「でも私は女の子だから特別よ」という意識を露呈するのです。

だから、当方はできるだけ専門用語を使わずに済ませたいと思っています。頭ごなしに「フェミニズム批評は嘘です!」と言うこともできるんですけれども、それでは「そもそもフェミニズム批評とは何か?」と説明し直さなければならない。

それよりは「もともと同人活動・BL創作というのはこういうものなのに、こういうものだと勘違いされているのは、おかしいと思いませんか?」と、やんわり問いかけるものです。(やんわり言ってるつもりです)

それによって、とくに若い人が「ああそうか。言われてみればそうかもしれない。どうして私は今まで他人の言うことを鵜呑みにしていたんだろう?」と、自分を疑う姿勢を覚えてくれるといいと思っています。

新暦と旧暦をゴチャ混ぜにしてしまったので、七夕の意義もズレちゃってますけれども、本来は気候の節目・農作業の節目であったはずです。それまでの成果をふりかえり、努力をねぎらい、一年の後半に向けて英気を養う。そういうお祭りであったはずです。

人生にも、学問にも、ときどき節目を設けて「あれはなんだったのか」と振り返ってみるのがいいです。

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