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清盛は「武士の世」って言わなきゃよかったと思う。

乳母という習慣があった時代には、父母が実の子よりも他家から預かった子を優先するからといって、実の子がグレる理由がありません。

また預かられた子のほうが「毎日顔を会わせている人々が肉親ではなかった」といって衝撃を受ける理由もありません。

げんに清盛自身が乳父子とは仲が良く、もともとよそんちの子か肉親かという区別・差別を感じていない。

なのに「忠盛の子か、白河院の子か」といって、やたらと悩んでしまうから、話がおかしい。

制作陣(端的には脚本家)が「清盛から武士の世が始まったことにしましょう」という前提だから、院との対立の構図を設定してしまっているのですが、それがうまく機能しないのです。

【院の北面】

平氏は、もとをただすと桓武天皇に発する皇族であって、清盛が実際に白河院の子だったとしても、都の外に棄てられたわけではありません。むしろ最も信頼のおける部下(=身内)として、北面を守る役目を与えられ、おそば近くに置かれたのです。

いっぽう、朝廷は中大兄皇子以来の天皇絶対主義が中臣鎌足の子孫によって有名無実化されて久しく、院自身がそれに逆らって院政を始めたわけですね。

その「実力」である平家に対して、朝廷の権力者である摂関家が反感をもって「血腥い」などという。それは分かります。

「くさくて風上にも置けない」というのは、あらゆる差別の場面で用いられる常套句ですね。

だからこそ、院としては「苦しゅうない。近うよれ」であったはずで、まさに「ふところがたな」なのです。だから院が清盛をイジメる理由がない。

清盛自身の意識としても「俺、武士の子だと思ってたけど、武士じゃなかった!」といって暗くなることはない。

むしろ「くさい武士になるのいやだなぁ~~」だったはずです。
(´・ω・`)

親戚にあたる貴族の家でゴロゴロしていたというなら、武士としての修練を怠って上流社会に戻る夢を見ていたといえるでしょう。

そして実際に若いうちから破格の出世をしたわけで、グレる要素がないのです。

往来を高下駄で闊歩したというなら、むしろ金持ちの家のぼっちゃんが粋がっていたのであって、中二病っちゃ中二病だけれども意味が違う。

貧しい若者が這い上がったというのと同じ話にはできないのです。

【不良少年】

世話になった忠盛が、せっかく出世したのに貴族になぶられたので、貴族をおどしてやったというのはいいエピソードでしょう。比叡山の権威を恐れなかったというのもいいでしょう。

けれども、それは新時代の若者だからとは言いきれない。あくまで院の落胤として一目置かれていることによる大胆さだったということは可能です。

本人が蛮勇をふるえばふるうほど、結局は院政の支えとして、院の権威に取り込まれてしまうだけのことです。

朝廷に対して、叡山に対して、対抗的ではあるけれども、すでに院が朝廷と対立している以上、平家は院からも自由な「武士の世」を志向していることにはならない。

むしろ「平家は院と一蓮托生!」なのです。

脚本家が女流なので、どっかで女性目線が入るわけで「女に生まれたっていうだけで、なぜ差別されなければならないの!」という弱者意識が、男の主人公において「生まれながらに武士だというだけでなぜ差別されるのか!」になってしまうのです。

が、じぶんは院の子かも~~と思ってしまった者の意識としては、生まれながらの武士ではないので、本来の問題意識は真逆なのです。

「なんで俺が武士なんかやんなきゃなんないわけ~~?」なのです。

でも、もともと中宮による第一皇子、女御による第ニ皇子ではないので、よくも悪くも跡目争いには加われないわけで、たとえ院の認知を受け、忠盛を乳父として預けられた皇子であったとしても、結局は廷臣となり、武官となって北面を守ることになったはずで、大差ないのです。

他の勢力から見れば、仙洞方面が親子そろって「怖いものなどない!」ってやってるだけで、子どものほうだけ「俺はいったい誰なんだ!」といってグレても、あんまり意味がないのです。

誰が見ても、院の血を引く武士。以上。

それが数十年後には帝の外戚となって、その当時の院と対立したというなら、かつて院の下(または北面)にいた者が、摂関家と同じ方法で摂関家に代わって朝廷を牛耳ったうえで、こんどは朝廷代表として院と対立したわけです。

だから、物語全体として「実父に認知されなかったくやしさが『朝廷を支配して、院に対抗する』という野望の原動力になった(が、ちょっとやりすぎました)」ということで、おさまりはいいです。

ただし、これは個人的復讐劇であり、むしろ「貴族の世」末期における上流階級のゴタゴタであって、武士の世の確立ではないです。

だから、武士の世を建てるためって豪語しなければ、かえってメロドラマ(泣ける話)の一種として、まとまりが良かったのです。平安版『華麗なる一族』。

【悪役の配置】

最大の問題は「なぜ正式に認知してくれないのか?」ですね。

武士だから・犬だからというのは理由にならないのです。上記のように、認知したうえで忠盛の養子に出して、北面警護の役目を与えるということは可能だからです。

母親の身分がよろしくないからということであれば、真の問題は預け先が武家であることではなくて、身分制度そのものです。

すでに出家した身だから体裁が悪いということであれば、これはちょっと、どうしようもないのです。

女性脚本家・視聴者としては「子どもを認知してやらない父親は悪人よ」でいいんですが、もし「院を悪人として描くために認知してやらなかった話にした」というようなら、話がまわってしまいます。

これなんなのかっていうと、女流脚本家の頭のなかに「少年は父親を乗り越えることによっておとなになる」というステレオタイプがあるもんだから、院に対する下克上というストーリーを立てちゃったのです。

けれども、それはやっぱり武力をもってお上に仕える軍人の先祖が皇位を簒奪するという大逆の物語でしかない。

帝(だった人)が軍人を犬と呼んで、軍人がそれを悔しく思って軍人の世を作るといったという、クーデターの物語でしかない。

ほんとうは犬と呼ばれてもついて行く……んですが、じつは院としては身分差があるのは分かりきってるので、わざわざ犬よばわりする必要もないのです。

帝(よりもえらい人)を悪役にすれば、それに対抗した男を正当化できるという、この論法は愛されません。

お公家さんを悪役またはコメディリリーフとして描くことは時代劇の定型だけれども、これはその上座に、まさに「お上」がおわしますから、その権威をかさに着て威張ってる連中を視聴者である庶民が笑いものにすることができるのであって、お上自身を悪役にしたら、やっぱりこの国では政治的意図を持ってしまいます。

ここが女流のやっちまうところなわけで、男性社会の真実を描くと称して、観客側が守ってほしい倫理の一線を越えてしまうのです。

実際に放映されたドラマは、終盤で「哀れな人物」という要素を打ち出すことに成功しましたが、序盤で話を煮詰めることが出来ていませんでしたね……。

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Misha

Author:Misha
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「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験・就活を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

映画評は、アップロードする以上は「下げる」ようなことは言わないことにしております。あらすじもあまり申し上げませんので、楽しみに御覧になってください。記事冒頭の色つき文字は映画中の台詞・挿入歌の歌詞からの引用です。

なお、取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・分割・削除しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。