【やおいには、じつは山も落ちもある】

  08, 2014 10:00
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「こうして二人は深く結ばれ(山)、その後はずっと幸せに暮らしました(落ち) めでたしめでたし(意味)」

ここでは「素人による二次創作のうち、殿方のお口に合いにくい性描写に偏ったもの」を「やおい」としてみる。

それは、長い時間をかけて信義を深めてきた二人に関する、クライマックス部分の情緒のみを繰り返し描いたものだ。

本来、この前後に「試合に出場した」「戦争に勝った」「凶悪事件を解決した」など、男性キャラクターらしいアクション物語があるはずなのだが、そこは原作に下駄を預けている。というか胸を借りている。

読者によって希求されているのは、エロス表現のみと思われがちだが、じつは「めでたしめでたし」というハッピーエンドの情趣だ。

【エロスとは生の称揚である】

生きた肉体の五感を総動員して、互いの肉体美を鑑賞し、互いの匂いと体熱と手触りを味わい、存在感の確かさに涙し、「生きてて良かった、生まれてきて良かった、君に会えて良かった」と思うことだ。

現実では「自分だけ良い思いしちゃいかんよ」ということなのだが、この約束がなかなか守られないので悪いことのように思われている。が、本来、ありがたい経験なのである。多くの古代文化が、遊女を神の使いと見なしてきたはずだ。

二十四年組の作品は、その意味では不満だった。肉体表現に切り込むことができなかったのは、少女誌の性質上無理からぬとしても、「その後の人生をずっと一緒に」というハッピーエンドを提供することができなかった。

作家自身が、その時点で「産まない女性」だったにもかかわらず、作品によっては「男同士では子供が生まれないので困る」という意識を払拭することができず、曖昧な終局を迎えたものもある。

その長期連載の終了と入れ違いに素人作品の制作数が伸びたのは、故のないことではないだろう。

(1980年代に十代に達した第二次ベビーブーマーの人数の多さという物理的な要素もあるんだけど)

【ハイアートの落日】

永遠に失われた少年美への憧憬を芸術に昇華させるというテーマを理解できるのは、作家自身を含めた、ハイアートの愛好者だけだ。

1980年代が進むと、このテーマは勢いを失う。

1980年代は、サザンオールスターズのデビューから始まった。それから、元気はいいが歌唱のへたなアイドルがいっぱい登場した。漫画とテレビドラマのヒーローは不良少年だった。

若き素人が描くボーイズラブも、それらに背を向けてというよりは、その流行をしっかりと取り入れて、元気に走り回るスポーツ少年たちや、不良少年同士の抗争を描き始める。

絵柄は、明らかに劣化した。人体骨格と遠近法に関するルネサンス以来の蓄積は反映されていない。

多分この頃が、ハイアートから一般人の心が離れた端境期だったろう。

では、ハイアートへの尊敬を持たない代わりに、熱心なアニメファンクラブの体裁をとって表現された、「前世紀でもなく、異世界の霧の彼方でもなく、自分と同じ現代の日本に住む元気なスポーツ少年たちが、死に別れることなく、深く結ばれ、末永くともにあることを誓う結末」を願う若き女性視聴者≒作者≒読者の心の、なにが悪いのか。

これは本来、現実の男性同士にとっても悪い話ではないはずで、このあたりで男女の利害が一致し始めると良かったんだけど、残念だった。

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