【各種少年愛の美学は、その人の趣味を語ったものだ】

  16, 2014 09:50
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稲垣足穂の著作でさえ、古今東西の芸術作品として記録に残された少年趣味を網羅的に調査し、引用元を厳密に明示して公開したというようなものではない。

学術的な手法を踏まえた、そのような研究書は別にして、エッセイ的なものは単に著者自身の趣味嗜好を語ったものだ。

ことに女流による「唇はピンク色に限る」とか「手首は折れそうなほど細いのが良い」とかいうのは、その著者自身が「私はそのような若年男性の肉体美に価値の重きを置く」(同好者は我が旗のもとに参集されたし)と宣言したものだ。

女の身で男性の世界へ立ち入り、住み込み調査して、男性が男性を選ぶときの基準を聞き書きしたというような、文化人類学の手法によっていない。

ゲイが彼らの少年趣味を語るならば「スポーツ刈りで、日焼けして、運動部のユニフォームが似合うのが最高」などと言うだろう。

【男子同性愛の美化ではないんだ】

女流自身の愛好する少年美を、女流自身の評価するもう一人の男性が、世界最高の美形と認めることによって、女流自身が自分の審美眼に自信を持つ。

「素敵な男性が、自分の趣味の理解者である」というバーチャルな満足を得る。これがボーイズラブの構造だ。

少年←男性←女性

目線が入れ子になっており、最初から女流自身の自意識の表現と、自己満足・自己完結を志向している。

そして、その限りにおいて、男性編集者によって出版を許可された。

たとえば難病を描いた作品によって、寄付が集まるということはある。

男子同性愛者にも「自分の容姿が気に入らない」「1円まで割り勘する相手がいやだ」「暴力」など、さまざまな悩みがあるだろう。

男子同性愛を美化したというならば、そのへんを描かずに、ヘラクレス俳優のごとき美青年スポーツマン同士の深い絆を称揚し、ゲイに夢を、社会に感動を与え、同性婚の容認へ向けてマジョリティが動き出すということであっても良い。

ボーイズラブを読んでも「その心配はない」ことにされている。

このカテゴリは、おもに男性である編集長によって、非常に冷徹に処理されていたと思って、いいと思う。

【女流の昂揚】

かつて一部の女流が、個人的な趣味を高らかに宣言した時代があった。

女性による少年趣味の表現が許される時代になったことが嬉しくて、自分の価値観に合致・追従しない男性を笑いものにすることさえ辞さない時代があった。

誰によって許されたかっていうと、男性である。出版できたのは、編集部に属する男性が「この程度ならOK」と判断したことによる。

なぜ、BLは「あのよう」なのか。

日本の商業的ボーイズラブは、最初から男性によって表現の「枠」を与えられている。女流は、男性が理解できる範囲で活用してもらっている。

だから、それを例えば大学の授業で読んでみても、あんまり意味ないんじゃないかな……って気もする。



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