1949年松竹『破れ太鼓』

  26, 2012 16:54
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見てよかった(*´∀`*)

無法松つながりで阪妻めあて。美しい……! 

映画は、唐突に長台詞をまくしたてる文学座女優の演技から始まる。不自然この上ない。ああ、この頃は舞台劇をそのまま撮ったようなところがあったなァとじゃっかん引いた気分で「古い映画はここが我慢のしどころ」と進展に付き合うと、カメラがずーーっとブレている。

『安城家の舞踏会』でも「酔う(-_-;)」と思ったけど、70年代のドキュメンタリータッチの演出とは違い、狙って揺らしているわけではなく、この頃のカメラの性能的にしかたがないんだと思う。

長男役・森雅之は『安城家の舞踏会』でも弱さとふてぶてしさを兼ね備えた暗く難しい役を演じていた人で、背が高く顔立ちがよく、品のよい立ち姿に高い学歴をにじませ、風采の上がるいい男なんだけど、うわずったような独特のセリフ回しと、やや不器用な顔の演技が「大根 ^^;?」と思わせてくれる変な俳優である。

で、その彼が「今日こそ頑固親父に逆らう」というのと、見事な洋館に住んでいるとは思えないパタパタと忙しげな母親(村瀬幸子)を中心に、異様なテンションの演劇系俳優たちによって目くるめく冒頭シーンが繰り広げられ、「ど、どうなるんだ、ずっとこのままいくのか?」とひきつったような笑いが視聴者の顔に浮かび始めた頃、阪妻登場。

スーーッと腑に落ちる芝居のちからというものを思い知った。

身のこなしが美しい。目線の使い方が美しい。わずかに傾けた顔の角度が美しい。ゆったりとまろやかな演技のすべてが美しい……! いい香りが漂うようだ。
あのドカタ上がりの頑固親父のどこから!? ってことではなく、役者の風情とか品格とか「花」とか、そういうものだ。

森雅之ほか若手俳優のもっていた、西洋劇を演じるための独特のテンション、早口なセリフまわしは、演劇に新世代らしさをもたらし、またそのために必要だったのだろう。いっぽう阪妻自身は歌舞伎の世界が好きじゃなかったということだ。けど、彼のすべてから、やはり伝統芸の豊かさを感じると言いたくなってしまう。

ストーリーは他愛もない(しかし上手い)というべきで、あらすじは言ってしまわないほうがいいだろう。戦前からがんばってきた頑固親父と、自由を求め、戦後を生きる子供たち。テーマは分り易すぎるほど分かり易い。先行きどうなるのか、何か展開があり得るのか、いまいち不安なドタバタ気味のホームコメディが、少しずつ焦点が合っていく、その語り方がうまいったらない。

カレーライス、オルゴール、肩パッド大きすぎのスーツ、人の頭を押さえつけるように差し挙げた“独裁者”の手、ブーローニュの森、きかせてよ愛の言葉を。

小道具と小技が散りばめられている。モテそうにもない火の見櫓番のじいさんのほうが、女といる時の“エチケット”を知っているのも洒落ている。絵かき一筋の若い男は、つまり、女のあつかいを知らない。そんな男が、そんな男だからこそ、男の情念を象徴する赤い星を見ながら気障なセリフを舌に乗せるが、それも清潔で誠実に聞こえる。すべてがそんなふうだ。

絵描きの両親のまろやかな演技もすてきだ。また、あの脳天気ぶりは、戦争でしばらく中断していた西洋への憧れをまたストレートに表現できる時代になった、良かったねぇ……という喜びにあふれている、と素直に考えていいのだろう。

舞台は田園調布と藤沢で、町並みと自然の風景が美しい。『晩春』とちがって戦争の影も占領を示す看板もない。唯一、末っ子役の少年だけがキビキビと軍隊式に階段をのぼる身ごなしが「訓練を受けていたんだな」と思わせるだけだ。

どのカップルも女性に主導権、発言権がある。あるいはそれを追求する女性を描いている。「人権」とか「(キリスト教の)神の教え」を女性が口にする。旧来の日本式男性社会へのアンチテーゼを提出する役を女性に担わせているといえばそうなんだけど、欧米の監督が女性キャラクターをあつかうと、どこか冷笑的な、「女はこわいねェw」という部分が表れてしまう。

こちらは、もっと愛情と共感にあふれている。亭主関白ではどこの文化にも引けをとらなかった日本の男性が、女性の芯の強さ(その代わりブチッと切れてしまう時がある)と、対照的な若い男性のもの柔らかな打たれ強さ、さりげない気のきかせ方を共感をもって描けるのも、不思議なものだが、これも能楽以来、あるいは「男もすなる日記」以来の伝統なのかもしれず、そのように周囲に気を使って生きてきた、軍隊でも苦労してきた「まだ若い男性」ならではなのかもしれない。(監督、このとき37歳である。セクシャリティが関係していたかどうかは即断しないほうがいいだろうけど、ちょっと考慮したくなる)

そのぶん、中高年男性キャラクターには評価が厳しいわけだけど、冷めた目線で見つつも愛惜してるってとこがある。笑えるけど泣ける。じっさい泣けた。皺を刻んだ肌をつたう阪妻の涙は美しい。ばかやろう、自分の子供をなんとなく好きな親なんかいるか。いいセリフである。

苦労してきた男は、他人を信じることができず、そのぶん自分の子供たちへもお節介を焼きすぎ、独裁者となり、破滅していくが、こんなこたァ昔っからよくあったことなんだよウン、っていう男性らしい明るい諦念みたいなものがあるわけで、これを見てしまうと、要するに同じことを語っている清盛は、やはり女性目線の同情票あつめ過ぎ、不幸に自己陶酔しすぎかなァと思わないでもない。

映画に戻ると、撮影がいちばん大変だったろうと思われる回想シーンの惜しげない編集ぶりは贅沢だった。阪妻は大勢に追いかけられるのが似合うなぁ(*´∀`)

顔立ちで異彩を放つ大泉滉のこなれた感じ、リアルで作曲家が本業である次男の素人らしい朴訥さ(素人が気取らない芝居をできるって案外むずかしいものだ)、それらが長男の、役としても俳優としても正統派だが生真面目で不器用な感じといい対比になっていた。

一見地味だが名優総出演の豪華さと彼らの爆発力、セリフと小道具に洒落をきかせた脚本・演出の技の豊富さ、じっくり構える(ブレてるけど)カメラ……と、三位一体のすごさを見たと思う。

いやぁ日本映画ってほんとうに素晴らしいですね!(*´∀`*)


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