経験談はひとつのサンプルにすぎない。

  05, 2014 11:49
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なんとか細胞が200回できたのなら、その200回分のデータを公表すれば済むことだ。

やおい「少女」について語るなら、1回のイベントで何歳児が何人観察されたのか、公表すればよいことだ。

それについて、保護者は何と言っていたのか、アンケート結果を公表するのが本当だ。

できないならば、「少女たちは母親と折り合いが悪く、将来に絶望した」というような説明は、言った人自身の経験談か、憶測に過ぎない。

みずから研究サンプルとして名乗りを挙げたがごとき“エッセイ”が、昔はブログもなかったので、わざわざ印刷され、刊行されたわけだけれども、それがどれほど普遍性を持つものか、全女性にアンケートを取って確認することはできない。

医療分野なら、定期健診の結果を匿名で集計するようなこともできるかもしれないけども。

ボーイズラブ分野でできることは、評論そのものの読者が参照しやすいように、広く一般に公開された作品について、従来の手法で、作家の成育史や社会環境を勘案して、時代精神が表現されているなどと述べることと、自分自身の体験談を、あたかも全女性に共通の現象であるかのように詐称することだが、後者は本来、あんまり推奨されない。

さらに、考えておく必要があるのは、いわゆるステレオタイプ、他人からの引用、カテゴリにおける約束事を偏重し、ひらたく言うと「コピーのコピーのコピー」であるところの、生活実感をともなわない娯楽作品の論評に、精神分析的な視座をもちこんで良いのかどうかということだろう。

「コピーのコピーのコピーが歓迎される時代精神について」という論考にはなるかもしれないけども。

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