【漫画は作家の自己表現とは見なされていないような気がする】

  14, 2014 13:00
  •  -
  •  -

昔の少女向け作品は、男性作家によって描かれた。彼らがトランス女性だったのではないかと心配する人は、あんまりいない。

プロの仕事として、自分自身のナルシシズムを度外視して、子供の喜ぶものを与えて「やっている」という意識がある。

でも、実際には、自分の好きなものを描いていたはずだ。

竹久夢二は、もう明らかに若い女性が好きだったし、手塚治虫は宝塚が好きだった。

アニメ放映とタイアップした玩具というのは、児童心理学者と教育学者、社会学者とリサーチ会社の協力を得て、「子供の五感を正しく刺激し、心身の健全な発育を促し、保護者の教育意欲をも満足させる」というように設計されていない。

時代の流行に合わせて、子供たち自身が折りたたみケータイであったり、スマホであったり、ネイルアートであったり、おとなの持ち物・やることを真似したがるから、それに合わせて投下してやっているだけだ。

子供が大人に憧れることによって、大人自身が「大人って何でも好きな物を持てるから、いいよね。私もおとなになって良かった♪」と自己愛を満足させる。

逆に子供が大人の真似をしたがらないと、大人は自分のやってきたこと(人生)を否定されたように感じるから、「いまの若いやつは情けない」って言うわけ。

『美少女戦士セーラームーン』は、成人した女性が描いたんだから、単純に彼女自身のナルシシズム、「成人女性の肉体美とはこういうもの」という価値観・審美眼が表現されていると言われても良さそうなものなんだけど、登場人物の肢体が中学生にしては大人びているので、「読者少女は早熟したがっている」と分析されることがある。

大人自身が魅力的だと思うものを投下して、子供がその真似をするだけなんだけど、最初の部分がすっ飛ばされる。

「少女はそれを求めている」という文脈に持っていきたい人がいるんではないかな、と思う。

つまり、「少女の性」という、その評論を読む大人たちにとって刺激的な話題にすることを(意識せずに)狙っているんではないかな……

たぶん少女趣味の男性が描けば、登場人物たちは13歳として無理のない、やや小ぢんまりした肉体美を保ち続けたはずだ。12歳の小学生男女を描いた『電脳コイル』は、かなり意図的だ。

頭部の大きさに比して脚が長すぎることが分からない程度の観察眼・描画力しか持たない描き手に、なにを指摘しても無駄という点はおいといて……。

Related Entries