【小鼓を乱拍子に打たせ。】

  19, 2014 13:04
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内田康夫『天河伝説殺人事件』の一節。

秀美さんは魅力的なキャラクターで、女流初の宗家として(あの作中世界の能楽界で)末永く活躍していってほしいと思う。

けど、乱拍子って、シテ方の稽古場で打つべきものか。小鼓方の秘伝中の秘伝じゃないのか(悩)

「小鼓を弟子に打たせて舞の稽古」というのは、小説の中にときどき出てくる。

それが現実にあることなのかどうか、人による・家による・場合によるということがあり得るので、「○○先生に聞いてきた!」というよりは、例によって一歩ずつ踏んで行って、自分なりの結論に到達したい。

いとし若衆と小鼓は。

シテ方は確かに小鼓を打つこともできる。が、小鼓は、組み立てて調緒を調整し、音を出すまでに時間がかかる。

小鼓そのものの稽古ならともかく、舞の稽古のためにそれを待つくらいなら、張盤を叩いたほうが早い。

仕舞の稽古に小鼓が必要なものなら、シテ方はいずれも小鼓持参で出稽古に廻っていることになる。

舞囃子のお稽古の様子なら、youtubeでも拝見できる。先生は「おひゃらーい」と笛の唱歌を謡いながら、スパンスパンと張盤を叩いて拍子を取っている。

ふつうは秘匿されているプロ同士のお稽古の様子も、DVDを買うと(ちょびっと)拝見できる。先生はやっぱり張盤だ。

小鼓だけでは舞囃子にもならない。必要なのは「笛」だ。

シテの脳裏に笛の旋律が明確に構成されていて、「私がそれに従って舞うので、小鼓のほうでよろしく見計らって打って下さい」というのであれば、むしろ小鼓方の特訓だ。

泉鏡花の作品に、妙齢のお嬢さんが舞って、名人が打つというのがある。これは名人なので、謡の合間に打ち込んでいくことが可能だろう。これは稽古というより、イレギュラーに発生したホーム・コンサートだ。

能楽の公演形態として、小鼓と謡(一調)というのはあるが、小鼓と仕舞というのは考えにくい。様々なニーズに合わせてアレンジはあり得るけれども、ふつうはプログラムされない。

お座敷芸からの類推としても、まずは三味線だろうし。

作家たちが抱くイメージの原型として、今のところ思いつくのは、1965年のNHK大河ドラマで、幸若舞の「下天のうちに比ぶれば」に謡曲の節をつけ、仕舞の型で舞っていたものだ。

高橋幸治の舞姿は美しい。誰か専門家が謡ったらしい音声のほうは「滅せぬ者のあるべきか」で一段落ついた後、「かぜ~に~~♪」と続いてしまう。

風!?

当時30歳代の若手謡曲師範とプロデューサーの仕事だったとしても、すでに二人とも80歳代だ……たぶん、実際には60歳以上の人たちだったろう。インタビューはできそうにない。

幸若舞というのは、確かに小鼓ひとつを伴奏に舞うもので、これも(1965年よりも後になって)復元されたものの実演をyoutubeで拝見できる。

「舞う」(=まわる)というより、直線上を移動しながら、足拍子を踏み鳴らすものだ。

プリミティブな戦士の出陣の儀式に近いのだろうと思う。

だから、信長が出陣の前に「人生はどのみち五十年なのだから、死を恐れずに思いきり戦おう」という気持ちをもって足拍子を踏み鳴らしたのならば、ふさわしいと思う。

物まね芸・小歌・天女舞が融合して生じた能楽は、戦士の出陣の儀式というには、優美に過ぎる。個人的にはプログレッシブ・ロックが近いと思っている。

含まれる要素が複雑で、その処理の具合が洗練されており、しかも根っこの部分に「おさむらいさんも大変ね」「かわいそうよ」というような庶民感情があって、やや感傷的だ。

勝修羅のキリ(ラストシーン)は、敵兵ではあっても他人をあやめた罪により、武将自身が地獄の炎に責められる姿を再現し、その霊魂みずから仏僧へ供養を求めて消えていく。

「殺りに征くぜ!」って感じではない。

能楽は、あくまで弔いの情緒をテーマに、当時の寺社の祭礼のおりに貴賎男女が楽しんだメロドラマ、という性格を持つ。

……というわけで、能楽における小鼓は、伴奏ピアノでもなければ、メトロノームでもない。

ピアノも調律が必要だけれども「その場で組み立てる」というものではない。右手が旋律で左手がリズムと和音担当だから、一台で伴奏になる。

小鼓は、それに例えると「左手だけ」だ。

さらに言うと、大鼓は洋楽ドラムの「ハイハット」に相当すると思う。


【面】

『天河』には、引き続き「ときには(稽古場で)面をつけて激しく舞った」とあるんだけれども、これも「その必要はないんじゃないかな」という感触だ。

例えて言うと、社交ダンス競技者が練習場で本番用の衣装をつけているような感じだ。着心地をみるために、本番前に着て踊ってみることはあるだろうけども。

たぶん作家が映像化を念頭においていて、小鼓の使用と合わせて、演出的な効果を書き込んじゃったのだろうと思う。

室内に能面が飾ってあるという描写も多い。

これも実際にそうしている家もあるだろうけれども、考えてみると、埃になったり、虫がたかったり、湿度と光線で傷んだりしそうだし、草野球のボールが飛び込んでくることもあるかもしれないし、泥棒に持って行かれることもあるかもしれないし、地震で落ちたりするかもしれない。

「家長の仕事道具」と考えると、常識的には、面と装束その他、一式そろえて同じ部屋にしまってあるんじゃないだろか。


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