自分自身が一方的に親しみを感じている男性表象を題材として、

  11, 2014 09:54
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彼らが演じるべき衆道物語を用意する。

同じ作業を、中年男性俳優に適用したのがスラッシュ、少女漫画に適用したのが二十四年組、アニメに適用したのがアニパロ派。

大雑把に、1960年代、1970年代、同後半。

それぞれ、テレビドラマが映画に替わって娯楽の主流となりつつあった時代、小説に替わって漫画が以下同文、漫画に替わってアニメが以下同文。

歌は世につれという言葉があるが、ボーイズラブも、ちゃんと世につれている。

二十四年組は、すでに連載を何本か成功させた後で、オリジナルキャラクターを創出する技術に長けていたけれども、素人レベルでは既成の少女漫画に登場する金髪美少年を題材にした作品が生まれていただろう。

少なくとも、誰かしらの脳裏に着想が生じていただろう。

『風と木の詩』も、当初は作家もその役回りを意図していなかったんじゃないかと思われる登場人物が、誘惑者の手にかかる展開となってしまっており、「目ぼしい男性キャラクターがあれば、受身としてみる」という技法において、やってるこた素人と同じである。

ただし、プロはそれでもその事件を物語全体の中に位置づけ、意味づけようとしているので、「山も落ちもない」と呼ぶのは相応しくない。

できればその「目ぼしい男性があれば、受身の役を与えてみる」という技法そのものに、議論上の混乱を避けるため、「他からの流用であり、元が否定形である隠語」ではない単語が割り当てられることが望ましいと、個人的に思うものだ。

スラッシュを念頭におけば、ボーイズとは限らないので……受身だから「パッシィブ」なんとか……パッシィブは、たしか稲垣足穂の著作にあった言葉。


 野郎受け。


野郎って、もともと女郎の類語だから相応しいといえば言えるのだが、それを言うなら「ふつうの男を野郎に仕立てる趣味」だから「野郎趣味」だ。

(※「この野郎」というのは、相手を性的な商売をする男性として、強く罵倒する呼び方である)

いやもうそれを言うなら「男色化」でもいいような気もする。

受身が若年者である場合には、従来通り「少年趣味」でいいのだろう。若衆、蔭間という言葉もあるが、個人的には稚児さんという言い方が好きだ。

(無駄に頭を抱えつつ)

話を戻すと、当然ながら、その技法が、1950年代には映画に適用されていた可能性はある。三島が実践者として存在していたんだもの。連想する人がいてもおかしくはない。

1960年代には、日本でも、海外テレビドラマから発想した作品(の構想だけ)が生まれていた可能性は充分にある。

1970年代には、専門誌『JUNE』への投稿(の下書き)という形で、さまざまな着想が試行されただろう。実在者・既成作品から発想しても、人物名を変更すれば投稿できる。

1980年代以降は、流行の推移に従って、ビデオゲーム、ライトノベル(の走りと言えるスペースオペラ作品)から発生したが、これには待ったが掛かった。

念のため、掛かるほうが本来である。

なお、なんで「二十四年組から始まった」という単純な定説に待ったを掛けようとしているかというと、時代の裏側に埋もれた声なき声、草の根運動みたいなものを大切にしたいと思うのである。

スターが登場する前には「露払い」がある。一人の成功者の背景には、百人、千人の潰えた夢がある。

そこに思いを馳せたい。


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