【豪華フルカラー同人誌を見てきた1980年代同人は】

  04, 2014 12:18
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1990年代初頭に成人すると、就職氷河期の当事者となってしまった人々でもある。

その一部には、ポルノ作家としてデビューすることができ、今では人気者という人もいる。

その同世代の学生の中には、在学中によく勉強して、公務員試験に合格し、憧れの「○○隊員」となった人もあったし、免許を取得して(本採用されるのを数年間も待った上で)教員・学芸員になれた人もあったし、早くから業績を挙げて研究者としての活躍を開始した人もあった。

1980年代初頭における白泉社の少女漫画雑誌『花とゆめ』は、美内すずえ・和田慎二・魔夜峰央など、1970年代に個性を確立したベテラン漫画家を「顔」にしていたと言っていいだろうと思う。

彼らの作品は、いずれもテレビ番組化された。

それほどの成功を収めなかった小粒な女流漫画家による作品の中に、ひと昔前の「耽美」の要素を取り入れたものが何点か存在した。

たとえ漫画家自身がそれを描きたいと強く主張したとしても、編集部が「没」と言えば、掲載はされない。

実際には、『パタリロ!』の成功に気をよくした編集部が、二匹目・三匹目の泥鰌をねらったものと見ればよいだろう。

読者の中には、それらの戦略的な作品ばかりが印象に残ってしまった人もあるようで、「1980年代初頭の『花ゆめ』掲載作品は、全部“やおい”だった」と間違った言説を流布してしまうこともあるようだが、上述の通りで、そのようなことはない。

1982年~83年にかけてデビューした、山口美由紀・川原泉・日渡早紀なども、明るく愛らしい少女漫画を描いていた。素直に鑑賞した読者は大勢いたはずだ。

「中学時代に、80年代『花ゆめ』のせいで、“やおい”に目覚め、大学で同人系の先輩に出会い、在学中は官能小説ばかり書いて、勉強しなかったので、英語も身につけず、資格も取らず、公務員試験にも合格しなかったから、就職に失敗した」

……少なくとも、雑誌のせいではない。

23~24歳から社会人・勤労者としての修行を開始した者と、その後に思いなおして何らかの免許を取ろうと思う者では、現場経験の蓄積に差が出る。

人生のやり直しがきかない社会よりは、きく社会のほうが望ましいが、「時間」だけは取り戻せない。

二十四年組が耽美作品を精力的に連載していた1970年代~1980年代前半の小学館『少女コミック』・秋田書店『プリンセス』などの少女誌にも、当たり前だが多数の少女漫画(少女を主人公に、その自己実現を描く漫画)が掲載されていた。

「とらわれるな」とは、柳広司『ジョーカー・ゲーム』に登場する結城中佐の言だが、“やおい、やおい”と捉われることなく、様々な作品を摂取した人の中から、「少女漫画とも、少年漫画とも、文学的とも、ギャグとも取れる、良いとこ取りの作品」が生まれ、それが2000年代の漫画道を制したと言ってもいいだろう。

(余談ながら、『ジョーカー・ゲーム』の高評価は、審査員を含む読書子の多くが「とらわれない生き方」に共感を抱いたからだ。)

もし若い人が、これから漫画家・小説家になることを望むなら、そのための講座が開設されている大学・専門学校を選ぶといい。広い視野で作品制作を教えてくれる師匠を求めるといい。漫画家・原作者が独自に開講している例もある。

技法は高度化・精緻化しており、80年代のような見よう見まねの同人作品が「いつか編集者の目にとまる」ことを期待できるほど、やわではない。

1980年代には、「原宿を歩いているだけで、芸能界へスカウトしてもらえる」と信じた子供が大勢いた。今では多くの人が幼い頃からダンスレッスンを受けているだろう。

社会は、漫画家を「モノづくり職人」の一種と考え、その困難な道を望む者へ、確実に技芸と覚悟を身につけさせる必要がある。

『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督は、油彩画を専攻し、卒業している。静止的構図の冴えは、そこから来ているなんて言うまでもないだろう。

もし政府が本気でコンテンツ育成を考えるなら、漫画家・アニメーターを目指す若者のための奨学金制度・留学制度などを充実してやるといいだろう。

(それどころじゃなくなったかもしれないけど。)


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