【二十四年組耽美作品は、成人女性の趣味の低年齢化。】

  06, 2014 12:38
  •  -
  •  -
森茉莉は『恋人たちの森』を書いた時点で、中高年と呼ばれる年齢だった。

二十四年組と呼ばれる漫画家は、1975年の時点で、二十代後半に達していた。

前者の父上の作品には、金井湛くんの青春時代を描いたものがある。後者の耽美作品には、西欧ロマン主義への私淑ぶりが認められる。

成人女性が、古典文学や、ロマン主義文学や、それに詳しい日本の男性作家の作品を読んで、「男性による少年趣味」という心性・行動様式の存在に気づき、自分なりに想像して、その現場を描いてみたという分には問題ない。

どのような素材にも意欲的に取り組むべきであるのが、作家である。

どの人間の大脳新皮質に対しても「関心を持つな」という命令を守らせることは不可能だ。「読むな」というのであれば、学問の機会を奪うということになる。

男女の平等、表現の自由を尊重するという立場に立てば、「女のくせに発表するな」というのも望ましくない。

とはいえ、常識的に考えて、作家と編集者が打ち合わせの上で、わざわざ「次号からの連載では、性暴力を描いて、子供に読ませましょう」ということはない。

したがって、『風と木の詩』は、作家自身の自由な表現意欲の発露と思えばよい。それが当時の編集者によって「この日本では安全」と見切られた。

極論すれば、同性愛表現が禁止されている国では、作家・編集者とも獄死していただろう。

そうではなかったことについて、日本人は胸を張ってよい。

青池保子『イブの息子たち』のほうは、発表において上記の竹宮作品に先んじている。

こちらでは、すでに「男女の中間的な存在」「ロマン主義の詩人における稚児趣味」「戦国武将と美小姓の関係」などがステレオタイプとされていることが、より明白だ。

銀座や、新宿二丁目における男の世界の実態を知らなかった、まだ若い女性漫画家に共有された「粋な遊びを知っている文学者」という「イメージ」が重要だ。

彼ら自身は「おかま」として差別されることがなく、女装はせず、ひじょうに美的(=女性的)な若年者ばかりを嗜好対象とする、貴族階級の男性という定型。

ひらたく言うと、三島由紀夫が丸山明宏の楽屋へ薔薇の花束を差し入れたみたいな。

それが低年齢者へ披露され、模倣を呼んだ。

模倣が始まってから後のことは、じつは今に至っても大して様子が変わっていない。ここでは、1975年の時点で、すでにステレオタイプが定着していたことが重要だ。

すでに当時、まるで映画俳優のブロマイドでも集めるように、そのようなエピソードを歴史上・文学上から拾い集める趣味が、一部の教養志向の女性の間に行き渡っており、それに気づいた漫画家が、漫画家らしいセンスでギャグ化あるいは残酷化し、低年齢者へ紹介したという経緯を推察してもいいだろう。

『風と木の詩』の連載開始に先駆けて、わたなべまさこ『ガラスの城』(女性が女性を監禁する)がヒットしている。楳図かずおによる「母親がエゴイズムによって実の娘を手にかける」という恐ろしい物語も連載されていた。

逆に女性作家が構想した、少年と男性の物語が残酷調だったことは、唐突ではない。

だいたいにおいて、本来は大人が楽しんでいた未来物語(SF)や、妖怪物語(ドラキュラ)などを、子供に読ませるために誇張して描き直したものが、漫画だ。

Related Entries