【女のロマンの定型化。】

  06, 2014 13:43
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青池保子『イブの息子たち』を読むと、すでに冒頭で「古代ギリシャに憧れ、青年美を称賛する西欧貴族階級出身の男性詩人の倦怠的・美的な生活」が、ありがちな定型とされており、笑いの種とされていることが分かる。

主人公の名は、バージル。ヴェルギリウスの英語形だ。彼の居室には古代ギリシャふうの青年裸像が、とりとめもなく飾られている。(整理整頓は苦手)

そのような生活様式の発想元は、ワイルドであり、ヴェルレーヌであり、コクトーであり、アッシェンバハであったろう。最後の人物は架空の存在だけれども、どっちみち20世紀後半の女性が、実際に戦前の詩人などに面会することは出来ないのだから、同じことだ。

彼らは男と女の中間的存在であり、彼ら同士で惹かれ合うのが習い性である……という前提の元に、現実社会における差別を意識することなく、少年愛または青年愛の情緒を楽しむことができる仕掛けとなっている。

……例えて言うと、ディズニー作品において、7人のドワーフや魔女の演技を楽しむが、実際に短躯である民族や、魔女の疑いをかけられた女性がどのような扱いを受けたか、文献を当たってみることを求められないようなものだ。

日本の少女漫画にも、修道尼の経営する孤児院を美化した作品(水木杏子・いがらしゆみこ『キャンディ・キャンディ』)が存在した。

青池が「そのようなものとしての衆道趣味を提唱した」と言うよりは、すでに一部の女性の間に流布していた稚児さん趣味を、彼女自身がそのように「罪のないフィクション消費」として理解したといったところだろう。

日本の漫画家というのは、SF作家の流れを汲んでいる。すなわち、その根本には現代文明への風刺精神がある。

漫画家の醒めた目は、耽美の流行の質を見切ったのだろう。なかでも青池保子という人は、そのような醒めた滑稽味を描くことの上手い人だった。

今も上手い。

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