【耽美ではなくて、やおいという主張。】

  06, 2014 19:11
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固有名詞が一般名詞化することはあるもので、専門誌『JUNE』に掲載された(ような)作品をJUNEと呼ぶことには違和感がない。

その創刊に先んじた作品・その雑誌とは明らかに違う雑誌に掲載された作品は、JUNEとは呼ばないのも当然で、これは引き続き「耽美ロマン」と呼ばれたという理解で、だいたい良いだろうと思う。

では、パロディとしての耽美作品は「アニメ耽美」「アニパロ耽美」と呼ばれたか。

……これが呼ばれていなかったように思う。

さらに言えば「アニパロ少年愛」とも呼んでいなかったと思う。

だからこそ、女性の口から「アニパロ」と言えば、少年を主人公にした特殊な恋愛物語を指すという誤解が生まれた。

たとえば「アニメのパロディにもいろいろあって、アニパロ探偵物語とか、アニパロ時代劇とか。そのひとつの例がアニパロ耽美ロマン」というふうに使い分けられていれば、アニパロという言葉ひとつが「耽美以外は指示しない」ことにはならなかったはずだ。

有名なサッカー選手が探偵として活躍する物語なら、男性も一緒に楽しく鑑賞することができただろう。

つまり……パロディ派は、耽美という言葉を使いたがらなかった。

内容が知られるような言葉をいっさい使いたくなかったからという考え方もある。しかしそれでは、またたく間に新しい名称が広まったことが説明できない。名前は欲しかったのだが、既成のそれではいやだったということになる。

その時点で、すでに衒学的な耽美派への反感が生じていたのではなかったか。

すぐ上の世代への反感ってあるものだ。地元から支援物資を送ってくれる母親や祖母には頭が上がらないが、10歳年上の職場のお局様だけは許せない、というような。

男性にもある。先輩や上司をいきなり殴るわけにはいかないから、革命という言葉に夢を抱いたり、若年者が頭角を現す下克上物語を好んだりする。

ボーイズラブは好色文学ではない、という主張は昔から繰り返し行われる。確かに茉莉作品をよく読むと、じつは接吻さえ描写されていない。わずかなベッドシーンは暗示的だ。いわんや『ヴェニスに死す』においてをや。それらを踏襲したプラトニックな素人作品も、必ず存在しただろう。

それに対して、意図的に男性向け成人作品を参考し、描写を過激化した一派があったのではなかったか。

日本の出版界は、女性の重役登用率が高い業界として度々名前が挙がるところではない。当時も今も、多くの社長・編集長が男性だろう。

彼らの商売勘が「BLとは女性向けの成人作品である」と見切ったから、それに従った作品ばかりが表面化してくるので、一部のファンが嘆く事態となった。

どっちが正しいということはない。性描写を楽しめる度合いなんて、人それぞれだ。

創作物の鑑賞態度に進化論を設定する必要はない。勝手に設定した進化論に基づいて、一方が他方を罵倒することがあってはならない。

ただ、いくつかの「流派」のようなものがあったことを指摘するものだ。

そして、むしろこのパロディ派の「古くさい耽美と一緒にされたくない」という気持ちを尊重するためにこそ、両者を混同して、古いものへ新しいレッテルを貼りなおす必要はないと思うものだ。

ひらたく言うと、「やおいの解説をします」と言っておいて、二十四年組の話ばかりしているようでは、看板に偽りありとなる。


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