【ボーイズラブは置換ではなく並存が可能なんである。】

  08, 2014 21:30
  •  -
  •  -
「あいにく本日はウナギを切らしておりまして、トンカツならございます」と言われて、「じゃあトンカツをもらうよ」と言える人は、トンカツを食える人だ。

「揚げ物は苦手なんだ」という人は、トンカツを頼まない。

大歌舞伎に苦手な役者が出てるからって、興味のないミュージカルに金を出す人は少ない。

日本のアイドル歌謡は幼稚だと思っても、イギリスのハードロックは英語が分からないから面白くないと思えば聴かない。

少女趣味ではない男性は、最近は劇画調の美女を描いてくれる漫画家も減ったので、思いきってゲイ漫画を読んでみるだろうか?

有名なゲイ漫画家の何人かは、驚嘆すべき描画力を持っている。当たり前だが男性だから、男性鑑賞者を納得させるに充分以上の量感的な男性美を描くことができる。

でも読みたくないものは読みたくないだろう。

スポーツ選手が婚約を表明すると、お相手の女性を非難する声が挙がることがある。

「よほどの美女でもなければ幸せを祈ってやる気分にはなれない」という誇り高き女性たちは、「代わりに彼自身が女役になって、同じ球団の男性選手と結ばれるなら祝福するわ」っていうだろうか……

なんらかの理由によって、女性の話なんて読む気がしない。「だから」ボーイズラブを読む。

この接続詞がおかしい。

おとなの女性にふられた男性は、すべて少女趣味になるだろうか。おとなの女性にふられた男性は、自分を抱いてくれる男性を探しに行くだろうか。

ハーレクインは苦手だからボーイズラブを読むという人は「ボーイズラブを読める人」なんである。

少女が不幸になる話は可哀想すぎて読めないから嗜虐耽美を読むという人は「嗜虐耽美を読める人」なんである。

「どっちも読む気がしない」「なんでも読む」という選択肢があり得る。

また、逆も真なり(ボーイズラブを読む人は、決してハーレクインを読まない)と言えない限り、証明にはならない。

これは「論理ってそういうもんだ」という話だ。

大人が先入見に基づいて、「女らしくないものは男」「男らしくないものは女」という二項対立の行ったり来たりで処理する狭量かつ浅薄な議論をしているから、若者からも「お約束の繰り返し」というドラマしか生まれてこない。

ディズニーは何をしたか。

「こうして王子様とお姫様は結婚しませんでした。めでたしめでたし」

今まで恐ろしくて誰も言えなかったことを自分で言って、大ヒットだ。なにごとも疑ってみるものである。

並存の例としては、淀川長治氏は有名なゲイ男性だったが、女優の魅力を正当に評価した。

不世出のゲイ漫画家である田亀源五郎氏も映画通で、男女の愛欲を描いた作品を公平に評価する。

ハーレクインとボーイズラブも、あえて例えるなら「別腹」だ。

結局のところ、いずれにも女性の自己愛が表現されているものならば、赤くて甘い酒と、青くて甘い酒ていどの違いしかない。

どちらも苦手という人もあり得るし、どっちもいけるという人もあり得る。

Related Entries