【表現の自由とは弱者の権利である。】

  08, 2014 22:40
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一般に、多数派が少数派に対して表現の自由を主張することは、適切ではない。

権力のある人は「この世は俺のものである」とか「今日から○○人には星のマークをつけさせることにした」とか「今日から○○人を処刑することに決めた」と言っても、その場で止めだてされることが少ない。決定は、そのまま通ってしまいがちだ。

それに対して、街頭で「今の指導者はおかしい」とか「革命を起こそう」とか演説しても、しょっぴかれたり、拷問されたり、処刑されたりしない……

それが本来の「表現の自由」だ。

政治的信条の表現が、それを主張しにくい弱者・多数決では絶対に勝てない少数派に保障されるというのが、本来の「表現の自由」の意味だ。

既得権益を得ている者・多数決によって採決を取ることが可能な多数派(マジョリティ)には、むしろ保障されていない。

女性の自由という言葉に男性が「むかつく。なぐるぞ」と思っても、それを言ってはならないことになっている。

子供の権利という言葉に大人が「ふざけんな。ころすぞ」と思っても、それを言ってはならないことになっている。

少し前に話題になった少女趣味・少年趣味の表現の自由というのは、性的嗜好における少数派であるから、それを「私にはそのようなもの必要ありません」という人々のほうが多いからといって、規制・弾圧することを勝手に決めてはならない、という話だった。

表現の自由とは、裏を返せば、「恣意的な暴力を行使することの可能な多数派・権力者の行動を制限する」という規定だ。

平和の祭典開催を目前に控えた政府が、表現の自由という言葉を履き違えることのないよう望むものである。


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