【宇宙戦艦ヤマトは九州の泥に埋もれていた。】

  08, 2014 23:30
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1974年、オイルショックに喘ぐ大地を蹴り、光化学スモッグの空を飛んだ。

それは、資源のない国の最後の希望である、海外最先端技術を理解し、持ち帰ることのできる者、すなわち地方出身の優秀な大学生の象徴だった。

誰かがそれをやらねばならぬから、傾きながらも飛び立った。格好悪い者が、いちばんカッコいいのだ。

その後、対米輸出が輸入を上回る時代がきた。1970年代に20代だった人が、働き盛りの中年となって、確かに頑張ったのだ。

だから、ヤマトは都会で遊びすぎて人の変わった女のようになってしまってはいけない。それはそうだ。

では、当時の人にとってはどうだったろうか。

戦後29年である。

1945年の人口ピラミッドというグラフを見ると、20代後半の男性が極端に少ない。

海軍兵学校卒業生の中で最も戦死者が多いのも、この世代だ。

からくも復員できた人は、1974年には50代後半。現役だ。官公庁・企業・教育現場の指導的立場にいる。政治家・伝統芸能家などにとっては、まだまだこれからだ。

彼らの目に、茶髪の若者と金髪の若い婦人が乗り込む巨大戦艦は、どのように映っただろうか。

「ビートルズが戦争ごっこか。ふざけるな」か? 

「まァ仕方ないさ」か。

1950年代に大学生・高校生で、SF御三家の登場に衝撃を受けた人々はどうだろうか。20年が経過して、彼らは働き盛りの中年だ。「ワープ、ワープ」と繰り返す勧善懲悪スペースオペラを彼らはどう見たろうか。

「今の若いもんは」

……って言っただろう。たぶん。

そのヤマトの再放送ブームからちょうど20年後に発表された『エヴァ』を鼻で笑う人がいるように。

(『エヴァ』から約20年後が『進撃』だ。)



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