【かならず攻めと受けを設定したのは男性なのです。】

  16, 2014 18:31
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ゼウスとガニュメーデース。アポローンとヒュアキントス。

醍醐寺に伝わる『稚児草紙』(箱書きから言うと鎌倉末期)における、立烏帽子の男と、水干姿の稚児。

室町将軍と、少年役者。

歌舞伎『毛抜』の主人公と、案内役の小姓。

お大尽と、芳町の若衆。

ペルシャの太守と、近衛隊長。

元華族と、太陽神のごとき美青年。

老作家(映画では指揮者)と、ギリシャ神話のごとき美少年。


より年齢が若く、体格の小さいほうが“女性”とされるのは、数千年来の伝統であり、衆道の美学なのです。

成人男性のプライドにかけて、彼らは絶対に「俺のほうが乗られちゃったよ」とは書かない。

百歩譲って、そういうプレイがお好きだった殿方もいたかもしれないけれども、お書きにならない。

『毛皮を着たヴィーナス』の少年版というのは、あまり有名な中には存在しない。

書くのは発想の自由な女性。

当初は男性が書いた通りの“少年愛の美学”の限りにおいて、女性も感情移入しやすい・美少年を寵愛する男心なら「分かる気がする」とされた。

でも本来、男のプライドの当事者ではない彼女にとっては、どっちでもいい。

最初に与えられたルールがマンネリと感じられるようになり、もっと自由に書きたいと思われるようになるのは、十年経過したところか。二十年か。

役割の逆転は、単なる創作上のアイディアとして、誰からでも生まれ得る。

あとはそれを編集者(とくに男性)が見て「無理!」と思うかどうか。

もし現代のゲイが「美少年=受け」という見方は一面的だと言うなら、古典に対抗する必要があるので、ものすごい勢いで現代のゲイの現実をメディア露出させていく必要がある。


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