【女のロマンの多様性。】

  16, 2014 19:00
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男のロマンは、親友と妻を同時に得ること。与謝野鉄幹『人を恋ふる歌』を参照のこと。

女のロマンも、本来は、親友と夫を同時に得ることだ。池田理代子『ベルサイユのばら』を参照のこと。あの作品が不動の人気を誇るのも当然だ。

マリーとオスカルは、互いを「悪い女ね」と罵り合うことはない。それぞれの道を誇り高く生きることを、心の内で応援し合う。

アンドレとオスカルは正式の結婚式を挙げていないが、決め台詞は「私の夫」だ。

マリーは……ルイ16世、じつは妻とフェルゼン伯の関係をご存知だ。妻を殴ったりはしない。

女性にとっての御都合主義ではあるが、男性が読んでも“気高く優しい男”という要素は、悪い気分ではない。

宝塚化は男性脚本・演出による。もちろん企画を通した上層部も、ほとんどが男性だろう。その名を冠した薔薇の品種改良に取り組んだのも、おそらくは男性だ。化粧品会社などの上層部も男性だろう。

女性が『ベルばら』を愛することを、男性も快く受け入れることができる。欲しがるなら、どんどん売ってあげなさいと笑いながら言うことができる。

いっぽう、信長の情人としての森蘭や、ジルベール・コクトーは、アニメ化されても着せ替え人形にはならない。実写映画化は、企画されてはならない。

男性社会の現実としても、物語においても、年齢差・身分差を利用したパワハラや、喧嘩後の制裁や、拷問の一種として、ストレート男性同士の性暴力というのはあり得る。

男性読者にとっては、もっとも恐ろしい・許しがたい場面のひとつだ。犯人は、だいたい後で誅殺される。そのような事件を軍隊の恥部として追及する映画もあった。

「この頃流行りの“男のロマン”に対して、彼らが最も恐れるアイディアで切り返すことこそ、真の女のロマン」

……ごく一部の才女が、どうやらそのように考えた。

最初からブラックジョークの性質を帯びており、しかも「これぞ至高」と自己陶酔する。傍目には奇妙な二律背反が、耽美趣味を満たしている。


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