【創作物への怒りは創作に籠められるといい。】

  16, 2014 20:00
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『薔薇の葬列』の男は、もともと和装のゲイボーイと親交があったので、若者に手を出さなければ良かったんだけど、手を出したばかりに恐ろしい現実を知る。

アッシェンバハは「あれは他所様の息子さんで、ギリシャ神でも何でもない」と冷静に構えれば良かったんだけど、追いかけ回した挙句に頓死する。

“一国一城の主たる男性が見境をなくし、命を落とすほどの美少年”

すなわち女性にとっても非常に魅力的な異性というモチーフを、彼女が自分の筆で表現したがったというのが、ボーイズラブ(昔は耽美)の発祥だ。

『薔薇族』の表紙を内藤ルネが愛らしく描いていたことでもあり、昔は本当に「美少年に生まれると、女に飽きて、ゲイになる」と思われた時代があった。

いっぽうで、「妻帯者でありながら、女のような美少年を見たときにだけ、倫理観を狂わせる男がいる」と思われた。

この「美」を「俺たち好みのものに差し替えれば、愉しく読めるんじゃないか?」ってことに気づいたのが田亀源五郎だ。

鬚面の筋肉質な美丈夫が多数登場する彼の作品は、じつは登場人物のほとんどがストレート男性だ。犠牲者は、自分がこんな目に遭うとは思っていない。執行者は、女日照りに悩む若者だ。

ストレート同士が、彼らがもっとも忌み嫌うはずの行為に夢中になる。BLとゲイ創作(の一部)の構造は同じだ。

怒ってはいけない。いや怒ってもいいが、その怒りは自作の創作物に籠められるべきだ。同じ土俵で「どっちが面白いか」を競うのが本当だ。

創作物が気に入らないから現実に突き飛ばした、票数にものを言わせて禁止したとなれば、そのような強行手段をとった人のほうが倫理的には負けとなるはずだ。

ふつうのSMと、ロリとゲイとBLでは比べようがない、ことはない。

プロットはだいたい同じだ。

華族の令夫人が気高すぎて「生卵より殺されたほうが増しです」と言えば、恥辱プレイが成立しない。年端もいかない少女が襲われて「いきたくない」も何もあるものか。

現実には起こり得ない・あってはならないことがわざわざ描かれている。「意外に犠牲者のほうも乗りがいい」という予定調和の中で、安全性の保証された「悪い遊び」の情緒だけを味わうことになっている。

真似する人がいたらどうするんですかと言えば、殺人事件・詐欺・スパイの手口なども同じだ。

その他に、文体または描画力、構図のセンス、コマ運び、伏線の回収の手際、時代背景の知識……共通する鑑賞ポイントはいろいろある。全部読んで総合評価する人が少ないだけだ。

……ところで、大人の男女を描いた普通の官能作品も、「ふつう」ってのも芸がないんで、そろそろ特定できる名称を考えませんか。


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