【ゲイを美化したものが“やおい”ではないのです。】

  15, 2014 21:07
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もし『なんとか用語の基礎知識』のような書籍・サイトで、“やおい”という項目があって「男子同性愛を美化したもの」と書いてあったら、眉に唾つけて下さい。

ゲイを美化したものが“やおい”なら、男性の肉体を最大限に美化して描いた田亀源五郎も「やおい漫画家」になってしまいます。

もともと化粧映えするゲイ男性である丸山(美輪)明宏も“やおい”の仲間になってしまいます。

他にも、センスの良さを活かして活躍したゲイ男性の存在が戦前から知られており、彼らは美少年を描き、花を愛し、瀟洒なクラブを経営し、美青年を起用して撮影しました。

それらは実在した同性愛男性の一部における美形嗜好の証言であって、べつに嘘をついたわけではありませんし、断じて“やおい”でもありません。

そのような成功者・美形スターの陰に、高畠華宵・内藤ルネが描いたような美少年に憧れつつ、百人並みの容姿の一般人が静かに暮らしていることは、ゲイの世界も、ストレートの世界も同じです。

女性が華宵の真似をして学帽姿の美少年を描いただけなら、単に女性による美少年趣味です。

女性が「美少年を愛好した男性詩人や画家」をセンスの良い人物として尊敬することは、彼女自身の美少年趣味をも「センスの良いこと」として自賛しているわけですから、ナルシシズムの一種です。

すでに存在するものへ、ファンとして追随することは、意味のないことではありません。


【美化から始まっていない】

日本のBL分野は、一般人としてのゲイのドキュメンタリーに食傷したので「もっと可愛く描いてあげましょう」というところから始まっていない。

ゲイが自分を日陰の存在と感じ、夜の公園を出会いの場としていた寂しい実態が頻繁に伝えられるようになったのは、1980年代。女性による創作物は、それより前から発生しています。

しかも、実態を元に「ホテルの豪華な化粧室でタキシード姿の紳士同士が」というふうに美化することは(少なくとも初期には)行われていません。

家族に受け入れられなかった同性カップルが、葛藤を経てハッピーエンドという海外映画のような美化も、当初は描かれませんでした。


【本末転倒】

かつて“やおい”と総称され、今ではボーイズラブと呼ばれることの多い創作分野は、「ゲイの中には例外的な美形もいる。ゲイの中には美少女と見紛う美少年を愛好する人もいる」という部分的証言から、非当事者の間に「美男→同性愛」という本末転倒した一般化が生じたことによっています。

「同性愛に関する非当事者」とは、すなわちストレート社会に属しておりますから、彼(女)らの周囲に存在し、彼(女)らが「おお、美しいな」と感じる人物も、ストレートです。

ここがポイント。

「非当事者自身の美意識に基づいて選択されたストレート男性をイメージモデルに」「一部の当事者による美形嗜好を参考に」という、二重のイメージ利用によって成立するのがBL趣味。

登場人物が「ストレート好み」なかんずく「女性好み」に偏っていることがポイント。

さらに、性的描写が詳細度を増したものは、ゲイ雑誌を参考にするとともに、ストレート男性によって高評価された(清純にして淫蕩というような)女性の姿が反映されている。

つごう四重のイメージ利用なわけで、かなり複雑です。そりゃ社会学者による分析も紛糾します。

このへんを踏まえずに、「ゲイを美化したものが“やおい”である」と話を短絡させてしまうと、「現実は美しくないと言われた」という被害者意識が発生したり、「もともと美形じゃないゲイが毎日こんなことしてるってわけだな」という、逆方向の短絡が発生してしまいます。


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