【火のないところに煙を立てるのは普遍的な創作技法です。】

  04, 2014 21:31
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じつは「やおい論」混乱の根本にあるのは、創作作業一般への認識の低さです。

社会学者とは、小説を読んだことのない人たちだったのでしょうか。

(論文しか書いたことがなかったとは言えるかもしれません。)


うっかり「やおい」という流行語を使わず、「女性が衆道を創作のテーマにする現象」とでも冷静に言っておけば、分析・解説の混乱も防げたでしょう。

「お気に入りの俳優などをイメージモデルに、定型化された物語の新作を構想する」(たとえば俳優の一人を刑事役に、一人を悪役に指定する)などと考えれば、創作活動としてごく当たり前のことで、わざわざホモソーシャルがどうとか言い出す必要もありません。

ホモソーシャルをホモセクシュアルにするという話は、分かりきった手法を学術っぽく言い直しただけで、「だから何なのか」「なぜそれを一部の女性だけが好むのか」「定型化した物語そのもののイメージモデルは何だったのか」という疑問にまったく応えていません。

だから何なのかと問われれば、「面白い」と答える他ありません。

誰も「男女物語には面白いものがないから、本当はいやでいやでたまらないのに、悔し泣きしながらBLを読んでいる」ということはないはずです。

なぜ面白いのかと問われれば、根本的には「すてきな男性が二人も出てくるから」になるでしょう。女性好みではない男性が登場しない所以です。

BL派と男女派の有意差は発見されていないので、二番目の質問には答えがありません。両方読み書きする人も存在します。

三番目の質問の答えは「ゲイ界の観察」ではなく、すでに男性作家が美化して伝えてきた悲劇としての衆道物語です。もっとも古い代表はギリシャ神話。1970年代初頭の時点で最新の情報は、1969年映画『薔薇の葬列』か、1971年映画『ベニスに死す』。

「既成作品を下敷きに、同じ人物配置で、ほかの作品に登場していた俳優などをキャスティングしたつもりで新作を構想する」という作業自体を「おかしい。そんなことする必要はない」と指摘して、禁止するのであれば、すべての小説が禁止になります。

ホームズとワトソンを下敷きとした「探偵と記録者」の組み合わせを持ったミステリーは、簡単に発禁にできる理屈になってしまいます。

ホームズとワトソン、ロミオとジュリエットに、古い挿絵などによって形成されたイメージとは違う雰囲気をもった俳優を当てて、新たな面白みを狙うといった映画も、作ってはいけないことになってしまいます。

なぜ、創作技法として当たり前なことが、ことさらに「やおい少女」の異常を示すかのように取り沙汰されたのでしょうか。

「やおい論」の根本にあったのは、じつは「BLだけは、他の創作分野と比べるまでもなく、特別におかしいことにしたい」という奇妙な意志です。






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