【少年愛の切なさとは。】

  08, 2014 12:06
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元々この話題を始めたのは、地方新聞のひとつが、竹宮恵子の京都精華大学学長就任を伝えるにあたって、代表作として『風と木の詩』を紹介し、「少年愛は切ない」と書いたことに触発されて、まずは「ゲイ差別につながるのを避けたいな」と思ったことによっています。

だから、新宿二丁目などにおけるトラブルにも、時々言及しています。


【三種類の混同。】

少年愛の切なさとは、元々は「成人男性が第二次性徴発現前の男児を性愛の対象としても空しい」ことによる切なさです。

これを潔く諦めることが男のダンディズムであるという境地は、稲垣足穂『少年愛の美学』にあますところなく表現されているかと思います。

次が「成人女性が第二次(中略)または、それに似た女性的な形質を備えた美青年に憧れても空しいこと」による切なさです。

一世を風靡したフランス人俳優に、日本の片隅から憧れた森茉莉は、後者の代表でしょう。

なお、稲垣足穂は「美青年などいない!」と言い切っており、ちょっと可愛い顔した成人男性をもてはやす世間並みの風潮への忌避感、ひいては女性が代表する日常性への興ざめ感を表明しているかのように思われます。

これには「女の一人として腹立つ」というよりは、星々と形而上を愛した足穂の面目躍如たるものがあるってことで良いと思います。

竹宮恵子は、筋骨たくましい男性を上手に描くタイプの漫画家ではありません。

デビュー作からして男児の姿をした森の妖精を主人公にしており、海外の少年合唱団の活躍をレポートするなど、筋金入りの少年趣味者であることを明かしています。

これが「女性の表現の自由」であることは当たり前で、本来「表現の自由」とは男女の別なく保障されているものであり、わざわざ「女性の」なんて言う必要もありません。


【創作物の役割。】

これらの「切なさ」が、創作物の上で慰撫されることを求めるのが、成人男性が若年者を性愛の対象とする模様を表現した作品群となります。古くは各地の神話にも見られます。

愛する側は、大神ゼウスであり、ギリシャ神話界のスターとも言える銀弓神アポローンです。彼らは未成年者略取のかどで断罪されることがありません。

女性による衆道表現も、やはり女性が自分の象徴・一種の道具として、カッコいい男性キャラクターに働いてもらったものと見て良いでしょう。

古代ギリシャ神話には、女神が青年を洞窟へ閉じ込める姿も描かれましたが、これが女性詩人による発案だったとは確認されていないわけで、もしかしたら「女神に囲われてみたい」という男性ナルシシズムの産物だったかもしれません。

逆に、天駆ける男神と、花に変じる美少年との交流に胸ときめかせた古代ギリシャ女性が「絶対にいなかった」とも申せません。


【少年同士。】

古代ギリシャ神話・英雄伝説における少年愛は、成人として描かれた男神・英雄が男児を寵愛するものです。

日本中世における稚児愛好・近世における若道も、同じパターンでした。

森鴎外に至って、「生徒同士」が表現されたはずです。その娘は、ふたたび年齢差のあるカップルを描きました。

1970年代の女流漫画家にも、年齢差のあるカップルを描いた人は多いのですが、生徒同士が取り上げられた作例が増えました。

ここで「少年同士の愛は切ない」って言っちゃうと、ゲイ差別意識が克服されていない社会では、ただちに「男同士はヤバイ」という偏見の助長につながって行きやすいわけです。

強調しなければならないことは、「男女を問わず、通学中の未成年者同士の性愛は不適切である(と、大人が見なす)」点であり、また、それに過ぎないことです。

これは、パターンとしては出会いの年に13歳かそこらだったロミオとジュリエットが、まだ家計的に自立できず、厳格な親の監督下では結婚できないことと同じです。

その幼さゆえの悲劇を、大人の作家の筆でわざわざ描いて、読んだ人が「泣ける~~」という心理は何なのか。ナルシシズムかもしれませんし、ルサンチマンかもしれませんし、消費かもしれませんし、搾取かもしれません。

いずれにしろ、本来、若年者同士の切なさは、大人が描いて、大人が読むべきものでした。男子生徒がロミオとジュリエットに憧れて女生徒に心中をせまっても危険ですし、逆もまた然りです。

遠い過去の海外の美少年同士だから架空感が強いことをもって、それを女性に読ませても模倣の心配はないから大丈夫だとしても、その女性が現実のゲイカップルに心中をせまるのでは危険きわまりないと言えます。

実際に口に出して心中をせまった女性は、いないかもしれません。でも「男同士は切ない」と言い続ければ、結果的に実在者を追い詰めていることになります。


【諦めるべきもの。】

少年趣味者が諦めるべきものは、彼の少年性です。

創作物上では、少年は第二次性徴を迎える前に急逝してしまいます。あるいは、彼の美しさを見つめながら、大人のほうが客死します。

これは少年趣味者にとっての夢の実現であり、それだけです。

同性愛だから、ヤバイので、どっちかが死ななければならないということではありません。

男同士の切なさとは、まずはそれを鑑賞する女性自身が動悸の高鳴りを覚えることによっています。眼前に美男が二人もいれば当然です。

そして、彼らの間に割り込んではいけないことを知っているからこその置いてけぼり感・寂しさに由来するものであって、それに過ぎないことを確認しておくのが良いと思います。

割り込んではいけないことを知っている女性は、実在同性カップルの会話に首をつっこむべきではないでしょうし、彼らの時間を奪って自分の説教や、身の上話を聞かせるべきでもないでしょう。

大人とは、少年を諦め、孤独に耐える人のことのはずですが、迂闊にも「少年愛漫画は少女が消費するもの」と定義されてしまったのが、トラブルの始まりでした。

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