【2001年筑摩書房、吉村 昭『東京の戦争』】

  22, 2015 12:52
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たしか小津映画『晩春』が昭和24年の作品で、開戦前と変わらぬ落ち着いた暮らしぶりや、美術展や音楽界が催されたりしている様子が描写されていました。

電車の中は、すでに整然としており、銀座には輪タクの姿はなかったと思います。ヒロインの父親は、闇食料の買出しを過去のこととして語っていました。

復員局は戦後2年間ほどで閉鎖され、もう復員してくる人もないと思われた頃に、やっと佐清が帰ってきた……というところから始まるのが横溝正史『犬神家の一族』。こちらの映画版からも、すでに物資不足という様子は伺えません。

この回想録は、ドウリットル空襲から、そのように世情が安定するまでの数年間の東京の大混乱した暮らしぶりを、わが目で見るように伝えてくれます。

過ぎてみると数年ですが、その渦中にあっては一日を生きることがいかに苦しかったかが克明です。

わが目で見るようなのは、美文調で修飾されていないからで、文章は簡潔かつ、戦前の教育を受けた人らしい品性を備えており、読みやすいです。


【悲哀。】

真珠湾以前に中国戦線で兄をなくし、自身は肺をわずらっていた著者には、軍国少年の高揚感がありません。自分自身が奇抜なアイディアで闇市を生き抜いたという自慢話もありません。

周囲の大人がいかに工夫を凝らして物資不足を乗り切ったものか、「もはや時効」という他ないエピソードがいくつも語られて興味深いです。

が、それを伝える筆者は面白がるでもなく、怒るでもありません。目の当たりにした人にしか書けない詳細を淡々と描写しては、「奇妙」という言葉を使います。

戦争そのものや天皇陛下への疑問・批判はいっさい言葉にされていません。むしろ当たり前な愛国心と、一方的な極東軍事裁判への批判が表明されています。

が、心の底のほうには、時局への違和感・虚無感といったものがあったように思われます。

同時に、ひかえめな言葉遣いながら明確に表現されているものは、頼もしかったお兄様たちへの誇りです。

著者は敗戦(終戦といわずに敗戦です)の年に18歳。夏に徴兵検査に合格したばかりで、入隊を目前に敗戦を知りました。

論調を一転させた文化人と、米兵に取り入るかのごとき若い女性たちへの義憤は強い調子で記されています。その行間に響いているのは「うちの兄貴は戦死したのに」という、最も身近な悲しみだろうと思われます。


【追悼。】

戦況と日常生活が極端に悪化する前には、筆者は浅草へ通ってコントや落語を楽しんでいたそうです。甲府まで一人旅して葡萄を食ったともあります。

これは「事実は小説より奇なり」で、フィクションとしてこんなことを書いたら「戦時中にこんな若者がいるものか」とお叱りが飛んできそうです。

中学生が遊んでいるとばれないように制服を隠して劇場へ入ったとありますが、お母様は子供が学校から帰ってこないことを不審に思わなかったはずもありません。甲府への旅費は、病床にあった彼女から頂いたそうです。

敗戦の年の暮れに病没されたお父様の火葬から納骨に至る顛末も、物資不足の世情を明かしつつ詳細です。

回想は、お兄様の復員を伝えて、筆が措かれます。

全編を貫くものは、苦難をともにし、若い自分を甘えさせてくれた、ご家族への強い哀惜の念と思われます。

そして、さらにその底にあるものは、75歳に達した筆者の、自分自身の生命を慈しむ心なのでしょう。

これは特定の時代の世相の証言として、貴重な参考文献であるとともに、困難を乗り越えた人の一生の記録として、畏敬の念をもって読み継がれるべき名著なのだと思います。




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