【ネットサーフィンが考える力を奪うんじゃありません。】

  16, 2015 09:24
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少し前に「ネットを敵視するあまり、スマホが電話であることを忘れる」という話をしたので思い出したのですが……

日本でネットが普及し始めた頃には、わざわざ書籍の形で「ネットサーフィンは良くない」なんて文章を発表する先生たちがいました。

ネットは次々にリンクボタンをクリックしていくだけで、記憶に残るものがない。人間から考える力を奪うから危険だ、というのでした。

でも、これはネットのせいじゃありません。使い方の問題です。

先生たちは、日頃は書籍を批判的に読むことに慣れており、メモを取ったり傍線を引いたりしながら読むはずです。新聞記事を切り抜き保存する習慣のある人もいるでしょう。

それが、PCに向かうと「マウス」で利き手がふさがっているので、普段の得意技を忘れてしまうのです。

HTML文書を読むことが悪いんじゃなくて、クリックという動作のリズム性、スクロールという視覚刺激がもつ催眠性のようなものが「危険」なんじゃないかと思います。

次々とリンクを踏みすぎて、どこを通ってきたのか覚えていないというのも、書籍を読むこと・ノートを取ることに慣れていない人と同じで、整理方法が身についていないだけです。

まずはブラウザの履歴・ブックマークを利用すれば良いですし、そもそも最初にして最後の手段は、手書きでURLを控えることです。全部の頁をプリントアウトしても良いです。膨大な頁数になることに気づくでしょう。

でも、日頃から原稿をまとめることに慣れている先生たちなら大丈夫です。

問題は、こういうことに先生たちが自分で気づくことができず、話が即座にネットそのものへのバッシングになってしまうことです。

海外では、同じようなことを思った人が、ネットそのものの中で工夫して、ソーシャルブックマークとか、付箋のように書き込めるサービスとか、広告などを削除してプリントアウトしやすい形に整形するサービスなどを開発したわけです。

確かに、誰かが文句をいえば、ほかの誰かが「そこを解決すれば商売になる」などと考えてくれるわけですから、言いたい文句は言えばいいです。

でも、なぜか日本の先生たちというのは「この問題を解決するために、若い人々の知恵を集めよう」というふうに考えずに、「若い人々にはネットを禁止しよう」といった方向へ進みやすいものです。

おそらく、本心はネットの意義を検討したいのではなくて、とにかく若い連中の流行を止めたい、ということなのです。

背景には「最近の学生は本を読まない」という不満があります。

スマホの話の裏に「今の若者は親に電話もしてこない」という不満があるのと同じです。

「女性がBLを読むと男性が同性愛者になる」という話もありました。あれも要するに「少子化は漫画のせいだ」と言っているのです。

日本人、はっきり言わないのです。別の対象を攻撃することで、本音を隠喩するのです。めんどくさい人々なのです。

あるいは、もしかしたら日本人の中には「解決は海外からもたらされるので、それまで様子を見よう」(=日本人が前向きに考えても無駄)という諦念があるのかもしれません。




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