【著作権の件① ~二次創作は著作権法違反か。】

  15, 2015 09:20
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以下は、渋谷達紀『著作権法の概要』(経済産業調査会、2013年9月初版)読了にもとづく個人的理解です。

渋谷自身が大学の研究者として、実際の判例にツッコミを入れるという要素のある本なので、実際の裁判官の考え方は違うこともあります。なお念のため、日本限定です。

【例題】

ある男性漫画家の作品は、少年漫画らしい眉毛の太い少年たちが「運動部における特訓の成果によって強敵に勝つ」という物語を演じるもので、読者の心に残るのは「努力は必ず報われる」という学童向けの教訓を含んだ感動です。

ある女性漫画家の作品は、少女漫画に登場する少年のような繊細な若者たちが「愛した人には過去があった」という恋愛物語を演じるもので、読者の心に沁みるのは「愛を得るための努力が実るとは限らない」という大人向けの苦味を含んだ感動です。

両者に共通するのは、前者の脇役と、後者の主人公の人名だけです。

この人名は、商標登録されていません。

なお、前者の人物は黒い眼をした日本人として描かれていましたが、テレビアニメ化の際に青い眼になりました。後者の主人公の遠い過去に向けられた眼は、澄んだ青色です。

また、両作品の題号(タイトル)は、まったく違います。後者には原案者・共同著作者などとして前者の著作者の人名が表示されているわけではありません。

さて、両漫画作品には著作権の侵害にあたる関係があるでしょうか。


【疑わしきは罰せず】

一般人が「こんなのパクリに決まってるじゃん!」という個人的感想を、ただちに「禁止しなきゃだめだよ!」という断罪へ飛躍させることに対して……

法律家は「疑わしきは罰せず。証拠が必要だ」と考えます。

まだるっこしいようですが、法律家の「なんとなく俺もやばいと思う」という一存だけを基に次々と断頭台送りというのでは、一般国民としても「明日はわが身」という不安が生じるわけで、やっぱり困るのです。

たとえ著作権侵害が非親告罪となっても、証拠を提出しなければならないのは検察にとっても同じことです。裁判となれば、弁護士が検察の不備を突くでしょう。

【複製権、翻案権、人格権】

複製とは、もちろんコピーのことです。著作物を複製できる権利は、著作権者=原作者自身が専有します。これに基づいて、著作権者から許可を得て、特定の著作物をそのまま印刷・頒布する権利が「出版権」です。

(頒布という言葉を使えば、販売とは見なされないというわけではありません。)

「版権」とは、明治20年に制定された版権条例に基づく言葉で、明治32年に旧著作権法が制定された後では正式には使われなくなったはずの言葉であり、かなり古いです。

この「出版権」を、著作権を意味する古い言葉である「版権」と混同すると、出版者/社が著作権を持っているかのように勘違いすることになります。

(出版社が著作権を持っていることはあり得ないってわけではなく、著作権者から著作権の譲渡を受けていれば、出版者が著作権者です。)

翻案とは、原作を踏襲して、形を変えることです。漫画がアニメ化された時点で二次的著作物です。

アニメを鑑賞して得た印象をもとに、新たに作成された漫画は、三次的著作物であって、原作漫画から見ると「孫」に当たりますが、ここまで来ると原作者の権限が直接に及ぶとは限りません。

上に挙げた架空の例のように、客観的に共通している・依拠しているといえる部分がほとんど無いということもあるものです。

キャラクターの名前は「たまたま同じだった」「憧れに基づいて命名させてもらった」などと言い張ることができます。自分の子供に有名人の名前をつけるのと同じです。

表現の自由は、保障されています。行動の自由は、もちろん保障されています。誰も誰かに対して「貴様は何も描くな」と命令することはできません。できるのは「俺の名前を勝手に使うな」ということだけです。

著作者人格権というのは、著作権者の名において、なんでも命令できる権利ではありません。著作権者が自分の作品に関して、「自分の名前」を管理できる権利です。

自分の作品が売られているのに自分の名前が表示されていない。他人の名前が表示されている。自分が苦労して生み出した作品なのに、他人の手柄にされている。あるいは、他人が書いた差別的な文章に、文責者として自分の名前が表示されており、自分のところに苦情がくる。

こういうとき、「すぐにやめてください」または「やめさせてください」と訴え出ることができます。「お詫びの印にお金をよこしなさい」と云うこともできます。

逆の立場からいうと、他人のネームバリューを利用して、自分の作品を宣伝してはいけないのです。「有名な○○先生の作品です」と紹介しながら、一部だけ自分の書いたものであってはいけないのです。歌謡曲の歌詞改変は、これにあたるでしょう。

でも、歌詞全体が変更された替え歌で、替え詞の作者名がきちんと表示されていれば、元の作詞者の人名(にともなう権威)が勝手に利用されたというのとは、別の問題です。

いっぽうで、いわゆる「薄い本」に、原作者と二次創作者の名前が連名で表示されていることは少ないものです。また、原作の絵に余分なものを描き加えたという例とも違います。それは、あくまで二次創作者自身が(腱鞘炎も覚悟で)描いた、その人自身の作品です。

さらに、もともと漫画・アニメの形だったものが、小説の形になっていれば「画像を無断使用された」とは、まったく言えません。

【アニメの著作権】

アニメ作品の複製というのは、もちろんダビングです。複製されたものが無許可で頒布されれば海賊版です。

翻案といえば、アニメのノベライズです。アニメのタイトルと、原案者として監督の名前を表示しておきながら、似ても似つかぬストーリーであった場合には、アニメ監督は差し止めを要求できます。

が、監督の名前が無断使用されたわけではなく、内容的にもあまりにも一致する部分が少ない時は、かえって「侵害された」とは言えなくなります。

似ていない物真似は、誰にとっても意味がありませんが、原作アニメとはストーリー性の違う「二次創作」は、少なくともそれを好む鑑賞者にとって意味があります。

それは、若い運動部員というキャラクター特性だけにインスパイアされた新作であり、二次創作者自身の腕だめしであって、少なくともアニメの「開始から何分の場面を品位を欠くものに変えてしまった」とは言えないのです。と、すると?

【二次創作の矛盾】

似ても似つかぬ「二次創作」(じつは二次でさえなく三次)が問題視されるのは、じつにそれが「二次創作である」ことを明言したことによってです。

似ても似つかぬのに、わざわざ「これには依拠した原作があります」と自己申告しているのですから、「権利者様は権利侵害の有無を各自で確認してください」と言っていることになります。

後難を避けるつもりで、わざわざ「○○先生とは関係ありません」と注意書きしておいて、かえって論理のパズルみたいなことになっちゃってるのが、現状の「二次創作」です。

また、他人が「それは二次創作なのに派手に宣伝しちゃダメじゃないですか」と指摘した時点で、それ自体が問題を起こしたことになります。

じつはアニパロという言葉が盛んに使われていたのは、1983年頃までだったと思います。以後「やおい・ロリ」といった隠語に置き換わっていきました。

コミケは、本来がプロを目指して独創作品を描いていた同好会の集まりですから、それに対して「こっちはパロディだ」と言ったのでしょうが、それが目立つようになって、問題性が認識されたのでしょう。

【冤罪】

2006年に「同人誌とはアニパロです!」と言ってしまった書籍が登場しましたが、この言い方は、同人誌全体を著作権侵害物として告発したという意味を持ちます。

実際には、今なお同人誌の中には独創作品もあるのですから、かなりの部分で「冤罪」の可能性があります。

その後、2008年に「二次創作は出るところへ出れば黒」と紹介するウェブ記事が挙げられましたが、親告罪なので「出るところへ出ることに決まった」(=告訴された)時点で、権利者によって黒と見なされているのは当たり前です。でも争うことはできます。

上述のような具合で、著作権法を「厳密に」適用すればするほど、侵害とは云えないということもあり得るので、こちらも二次創作全体について根拠なく偏見を助長する言説であるということになります。

べつに個人的に二次創作を弁護したくなくても、法律がそういうことになってるなら仕方がないわけで、誰よりも国民自身のために「疑わしきは罰せず。予断しない」という原則を尊重するならば、いきなり「黒に決まってる」という言い方をしないほうが良いのは当然です。

「だからこそ」と続きます。

【道義的責任。】

告訴できる条件を満たさないからこそ、原作者は「お願い」することがあります。芸能人が「子供の運動会など、プライベートに関わる取材はご遠慮ください」と言うのと同じです。

裁判所を通じていなければ、法的な強制力はありません。だからこそ取材陣は「人と人との約束を守れるか」という道義的責任を負います。社会が証人となります。

これに対して、創作者側が「どうしても他人の作品から発想した物語を、その旨を明示して発表したい」と思えば、「表現の自由」を主張して、裁判で闘うことになるでしょう。

べつに、二次創作者が裁判に出て悪いことはありません。判断基準である法律そのものの改訂を訴えて大論争を巻き起こしても構いません。むしろ、闘う権利があります。

でも、それを避けたいので、意味不明な隠語を使ってまで身を隠そうとしてきたのが「同人」です。

【対応】

「二次創作は人気のバロメーター」というのは、その人自身の考え方であって、創作者全体の意見を代表しません。

そういう人は、自身のブログなどで「私の作品は二次創作フリーです」と宣言するか、全作品にCCライセンスを付与すればよいのです。今まで遠慮していた天才が奮って登場してきて、出版界・購読層を喜ばせるとともに、原作者の地位をおびやかしてくれるかもしれません。

「二次創作はうまくやってくれ」というのは、ガッポリ稼いでくれという意味ではありません。絶対に見つからないでくれという意味です。たとえば刑事ドラマなどで犯人グループが「うまくやれよ」「うまくやりますよ」と言えば、「ツイートしろよ」「拡散します」という意味ではありませんね。

親告罪であることが理解されたからこそ、原作者のところへは「放っておいていいのか?」といった質問・苦情が殺到している可能性があります。

非親告罪になれば、壁サークルを密告する必要はありません。警察が内偵を進め、イベント会場を封鎖して、一斉検挙するだけです。ダンスクラブはやられました。

そもそも、イベント主宰者が規約の冒頭に「違法な商品は出展できません」と書く他なくなるのですから、非親告罪化が決まった時点で全滅です。

「俺だったら密告するから、その前に許可してやろう」というので始まったのが二次創作許可マークですが、これは常に二次創作物とともに原作を携帯しなければ疑いを晴らせないことを意味します。

複製でも翻案でもなく「二次創作」だけを許可してやりたいという気持ちは分かりますが、そもそもその程度なら著作権侵害にあたっていないとも言えます。

また、すでにCCライセンスがあるのに話をややこしくした恨みはあります。

世界共通のCCライセンスではなく、日本国の知的財産として、日本人にのみ二次創作を許可したい・外国人からは守りたい(関税をかけるのと同じ)という考え方もできますが、漫画の発表自体がデジタル化されたので、手を打たない限り世界同時公開となるわけで、アニメ化を待たない二次創作も国際的に多発するでしょう。

(海外では「ファン・アート」といいます。)

技術の進歩によって、デジタル漫画へ勝手に音声をつけた動画というものも考えられます。重大な複製権侵害とも言えるし、声優の卵・映画音楽作曲家の修行場所と考えることもできます。

……やっぱり、このへんは著作権者自身が裁量する権利を確保しておくのが良いのだろうと思います。

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